応帝王篇(七)

 あくる日、列子はまた神巫を連れて壺子に会った。すると、神巫は壺子の前に立つか立たないかのうちに、思わず我を失い、あとも見ないで逃げ出した。

 壺子が「あとを追え」と命じたので、列子も追いかけたが、見失ってしまった。仕方なく帰って壺子に報告した。

「神巫は影も形もなく、どこかへ消えてしまいました。とても追いつくことができません」

 すると、壺子は言った。

「先ほど、わしは神巫に未始出吾宗みししゅつごそうの相を見せてやったのだよ。これは、自分の根本にある道から離れていない境地だ。

 この境地では、おのれを虚しくして、ただ物の推移するままに委ね、自分が何者であるかも知らず、ただひたすらに随順することを事とし、ただ波や流れのままにただようことを旨とするものである。

 あの神巫は、このように千変万化する姿を見たので、恐ろしくなって逃げ出したのであろう」

 このことがあってのち、列子は自分の学問が全くなっていないことを悟り、そのまま家に帰った。

 そして三年間ひきこもったままで、一歩も外に出ることがなかった。妻のために炊事をしてやり、豚を飼うにもまるで人間を養うように大切にして、差別の心を去るようにつとめ、特定のことだけに心ひかれて親しむことがないようにした。

 このようにして人為を削り去って素朴の状態に返り、まるで心のない土くれのような姿をしたまま立ち、すべてを混沌に委ね、そのまま生涯を終えた。

 ── 列子は、一体どうしたのだろう。何とも、淡々と書かれたラストである。

 たぶん、それまで彼が習ってきた学問、勤めてきた勉学、「それは何の役にも立たなかった」と失望したショックもあるかと思う。が、それはほんとに失望、絶望、失意に陥らせるものだったろうか。

 そんなことはない。彼は、それに気づいたのだ。今までしてきたことの、無意味さ、「何の役にも立たない」知識、見聞、その身をやつして精進してきたところの、土台からひっくり返され、まさに「虚」そのものになったのだ。彼はそれを「体験」したのだ。

 彼は、「完成された」まま、生涯を終えたのだ。

 万物斉動とは、混沌であり、虚無であり、変化を続けてやまぬ生であり、また死である。それらのものが一体であること、これは厳然たる事実、真実であって、一体であることを観じる自己からも離れ、一体へ一体となること… それを列子は遂げたのだと思う。

 もちろん、それは死ぬ前から、彼の達していた域であった。あの壺子が自在に見せた術を目の当たりにしてからの。

 哀しい、淋しげなラストだが、列子はみごとな死、あっぱれな死を行ったと思う。