気、というのは、あるな。ほんとに。
元気なんて、元の気だ。「元気?」と聞くのは、まさに「元の気、調子どう?」みたいなもので。
生命は「気」の集合体。うなずける。
精神論ではない。気と精神は違う。精神は、いわば「気に宿ったもの」だろう。
そして気は、身体に宿っている… というより、身体をつくっている。気と身体は、この意味で同時進行、一心同体だ。
心はまたヤンチャ坊主みたいで厄介だが。気持ちというのも類似的で、ふわふわしている。
しかし気というのは、じつに見つめ甲斐がある。見つめられないものだから、感じ甲斐、とでも言おうか。
しかも、それは身近すぎる、この我が身、この身に宿る我であるが、この身の内にあるのだ。
この体験できる「気」、見つめ、感じ、仔細綿密に、「気」の動きを観ずること。
宇宙が見えるような時もあるし、秘密の何かを感じるような時もある。
この「気」を私がほんとうに操作できるようになったら、… たぶん、鍛錬すればできるようになる気がする。
そのためには、とにかく「見つめる」ことだ。
細部、こまかな、ちいさな、微妙な動きを。
とても、楽しい。