きみはその手記に、レギーネとの関係について五つの時期に分けて報告している。
第一期── 婚約初期の数ヵ月。きみのレギーネに対する態度は恋人らしく、いんぎんなもので、彼女に気に入られるようにあらゆる努力をした。
しかし、きみの内心は「おまえは婚約してもいいのか? 結婚してもいいのか?」という自問、そして不安に満ちていた。
第二期── レギーネは何か不安を感じはじめ、誇りをむき出しにして、ひどいときには「婚約を承諾したのは同情のためだ」とさえきみに言い放った。
もしこのとき婚約を破棄していたならば、彼女の誇りは傷つけられず、きみの後悔(なにしろきみは婚約したその日の夜にもう後悔をしていたのだから!)は終わることができただろう。
しかしきみはそうしなかった。彼女に調子を合わせることによって、彼女に対抗したのだという。(わたしには、きみがきみ自身の何ものかに抗ったように思えるが…)
だが彼女と戦うことによって、きみの内面の憂愁は、忘却の彼方へ押しやられるようだったのは確かなようだ。
第三期── レギーネは急変した。彼女はきみに屈服し、愛情ぶかく、献身的になった。きみを愛し、崇拝するようにさえなった。するときみに、きみの大切な、きみがきみであると認識させたところのあの憂愁、きみを手こずらせ、しかしきみがそれを愛することによってきみを生かしてきたような憂愁が、倍になってきみに還ってきた。
きみは、彼女の献身を受け入れてはならぬと思いはじめる。(一種の自己保身のようにわたしには思えるよ…)
彼女の受け入れ難きは、そうしないのだという決意まできみにさせることになる。つまりきみは強固な意志となり、彼女の献身をますます拒絶するようになる。
第四期── きみはついに婚約を破棄しなければならなくなった。婚約指輪に手紙を添えて、きみは決意して送った。
「…… 何よりも、こうしてこれを書いている者を忘れてください。何かほかのことならできたのに、一人の娘を幸福にすることのできなかった人間を許してください…」
ところが、事態はこれで終わることはなかった。きみの本来の精神作用葛藤が、生き生きと、きみのなかでうごめきはじめたからだ。
レギーネは絶望から立ち直ると、「婚約破棄はあなたの病的な憂愁のせいだから、それをわたしがなおしてあげる」とさえ言ってきた。
「イエス・キリストにかけて、また亡き(セーレンの)お父様にかけて」、自分を捨てないでくれと哀願し、彼女のすべての家族が同じことを主張した。
レギーネの涙と、きみ自身の願望に対して、この時きみが対抗し得るものは、きみの良心だけだった。
きみの内面では、一つの答が既にきみに提出されていたにもかかわらず、この婚約破棄の問題はいまや外的なものと化していた。それは同じ倫理の二つの面、プロテスタントの内的良心と市民倫理の戦いとなったという。(セーレン、きみは一をもって百を知る、一つつの事象から理を発見し、そこに孕む心理、真理とも換言できるものの接点を見い出し、そこから大きな翼を広げる鳥のような才能を持った大天才だよ…)
第五期── きみは最善ともいえるし最悪ともいえる対策を講じた。つまり、レギーネから捨てられる自分になろうと試みた。
きみは、若い娘の心をもてあそぶ悪人になった(そのふりをした)。だが、それでもレギーネはきみから離れようとしない。そこできみは、外見上だけでもレギーネが婚約を破棄することにしようと提案した。外見上だけ名誉が守られることが、二重の屈辱となることが、彼女に感じられないはずはない。きみは、こうして最善なのか最悪なのか、よくわからない行動をとってしまった。
レギーネは「死んでしまう」と叫んだ。彼女の父親は世間的な体裁や名誉を捨てて、「娘と別れるのだけはよしてくれ」ときみに哀願した。
しかし、最後の破局の日は自然必然にやってきた。
それからきみは、ベルリンに向かって一人、旅立ってしまったのだ。
※ 参考文献/キルケゴール著作集第2巻「あれかこれか」第1部(下)浅井真男訳、白水社