ゴミ収集車の助手をしていた時のことを思い出すと、強く、あやまりたい思いに駆られる。
その人は、その会社にとって貴重な戦力だった。しかし、私はその人が、いい加減に仕事をこなしているように見えてならなかった。
ゴミを出す人の中には、チャンと袋を閉じないで出す人もいる。それで、収集車に投げ入れる時、たまに中のゴミが散らばってしまうことがあった。
私は、それをいちいち拾おうとしたけれど、彼は「いい、いい」などと言って、さっさと運転席に乗り込んでしまうのだった。
他にも、いい加減だなあ、この人、と思える何かがあった気がするが、よく覚えていない。
私は、細かいことにこだわっていた。しかし、その時は、そう思わなかった。
その人は、気のやさしい人だった。助手席の私に、へたな冗談を言ったり、気を遣っていることが、よく分かった。
だが、私は「チャンと仕事をしない」人に、冷淡に振る舞った。つくり笑いも返さず、ムッとしていたのである。
翌日、彼は仕事を休んでしまった。その日は、また私と組むローテーションのはずだった。
私が雇われる前に、社長が急死か何かされて、人手も十分ではなかったと思う。その日は、社長の奥さんが、必死そうに運転なさって、私はその助手席で、悪い事をした気になっていた。
現場の人員不足はともあれ、私が今も最も悔いているのは、自分が「正しさ」に拘泥し、いい加減さを×として、その人をほんとうに傷つけてしまったことだ。
20年前のことだから、もう相手は忘れているだろうけれど、私には忘れられない。
なぜ忘れられないのか。
「自分が正しい」と思うことに拘って、あまりいいことがなかった経験を、その後もいろんな職場でして来たからだと思う。