(10)小林美代子

「髪の花」という小説で、56歳で「群像」新人賞をとった、小林美代子さん。だが、その2、3年後に「繭になった女」を書いて自殺してしまった。
「髪の花」は、精神病院に入れられた小林さんご自身の体験をもとに書かれた小説。
 物語は手紙の文体で、「お母さん」に向かってヒロインが手紙を書き続ける具合で進んでいく。

 お母さんのいるはずの家に、その手紙を送るのだが、その宛先の住所は定かでない。ただ、こんな住所だったと思う、そんな気がする、というだけだ。
 そして、ずっと返事は来ない。出した手紙は、戻っても来ない。
 でも、きっと読んでくれていると信じて、「お母さん」に、今日はこんなことがありました、とか、自分は今こんな状態です、といったことを、小林さんは書き続ける…

 宛名に書く、お母さんの名前も、確かこんな名前だったのでは、という微かな手がかりに過ぎない。
 自分の名前、自分が誰なのかも、うろ覚えである。たしか自分はこんな名前だったのでは、ということを頼りに、差出人に彼女は名前を書き、手紙を送り続ける。
 しかし、彼女が書く、彼女が生活する病院の中で起こっている日常のことは、事実だった。

 この作品が発表された時、現実の世の中では「小林同盟」というのがつくられ、精神病院の、あまりに非人間的な患者への対し方、病院の酷いありさまを改善しよう、という動きが起きたらしい。

 小林さんは、幻覚・幻聴に、そうとう悩まされていたようだった。いや、実際に見え、聞こえるのだから、幻ではない。
 小林さんが見て、体験している、現実なのだ。
 幻を見る小林さんは、それが「良い幻」であれば、とても幸福そうだ。だが、「悪い幻」は、とことん彼女を苦しめる。ほかの患者も、同じような症状をみせる。
 そして医者は、彼女たちを、「非現実の世界」から「現実の現実」に引き戻そうとする…

 精神病というものは、確かにあると私は思う。でも、その「確か」が、ほんとうに確かであるのか、私には分からない。
 良い現実であれば、その中にいる自分は誰だって幸福だろうし、悪い現実の中にいれば、苦しい。
 それが現実でなく幻だと、私には断じることなんかできない。

 現実も幻も、それを見た人の、中にある、と私は思う。「精神病者」とよばれる人と、そうでない人との境界線── 周りから「理解」されない、「何を言っているのか分からない」「行動がおかしい」と見られるところか、と想像する。

 そしておそらく、自分を含めた「人」を殺傷することも、「健常者」から見れば、精神異常者と見られることになるだろう。

 だが、自分を省みれば、私も誰かにひどい迷惑をかけてきたし、実際に包丁などで人を害したことはないけれど、人の気持ちを傷つけることも平然と言ってきたと思う。
 今現在、何を言っているのか分からないようなことも書いているし、心と身体が一致せず、人知れず、ひとりでいる時におかしな人間になっているような気もする。

 たぶん、異常と正常は、ほんの数ミリの違いなのだ。それが外に認知されるか、自分の中で納まっているかの違い…
 その「違い」が、本人をひどく苦しませているのなら、そして言葉による交通ができない、あきらかに「異常」な行動をとる…そんな場合、何らかの「治療」が必要になってしまうのだろうか。

 とにかく本人が苦しむことがなくなればいい。本人が楽になってくれればいい。その状態であれば、自殺も他殺も、そんな衝動には駆られないと想う。
 精神を病む、ということを疑っている私は(これがいちばんタチが悪いかもしれない)、いや、そもそも鬱病とか何だとか、形のない精神に、病名という形なんか付けられないと思う。
 誰だって、嬉しい時は「躁」で、落ち込んだ時は「鬱」になる…

 できれば、カウンセラーや心療内科など、そういう場所で「医者」と「心を開いて」人間関係をするよりも、日頃、日常の中に、何でも言い合えるような関係があればと思う。
 小林美代子さんは、なぜ自殺してしまったんだろう、と、ざわざわした気持ちで考えざるを得ないけれど…
「繭になった女」という小説のタイトルが…。