町の中のふたり

「ねえ、どうしたら楽に生きていけるかしら」
「何も思わず、生きることじゃないかな」
「それはムリでしょ。何か思うもん」

「じゃあ、何か判断するのを、中止してみたらいい。白か黒か、ハッキリさせようとするから、苦しむんだよ。無理して決着をつけようとしないで、曖昧なままでいいんじゃないかな」
「判断を中止する? そんなことして、どうやって生きて行けるのよ」

 5月の日曜日、昼間の喫茶店。ぼくらは、「生きる」ということについて話し合っていた。

「でも一枝ちゃん、そんなにつらい? 生きてるの」
「うん、つらい。何のために生きてるのか、全然わかんない」
 彼女はそう言って、タバコを吸った。
「これ、間接的な自殺よね、タバコなんて…」
「でも、生まれた時から、みんな、死ぬようにできているからねえ。好きなことをして、死んで行ければ、いいんじゃないかな」

「充ちゃんは、死にたいって思ったことない?」
「うーん、ないと思う。死にたいと思ったとしても、死んだことがないから、死にたいって思うことがどういうことでなのか、分からないから」

「じゃあ、生きていたくないって考えたことない?」
「うーん。死ぬっていうことが分からないから、生きるっていうことも分かっていないんだと思う。だから、分からないことを、やりたいって思えないんだと思う」

「そうかあ。私は、分からないことだから、やりたいって思っちゃう。考えることだって、分からないから考えるわけでしょ。で、私、分からないことを考えても分からないのよ。自分のことも、人のことも、なぜここに花があるのか、なぜあそこに虫がいるのかも分からない」

「分かる、って、どういうことなんだろうね?」
「分からないわ」

「きっと、分からないのが、ほんとだと思う。いろんなモノやコトが、いっぱいあるけど、きっとみんな、どうでもいいことなんだよ。でも、どうでもよくないことなんて、何もないんだ。ただ、どうでもよくないと考えたい・・ことだけが、どうでもよくないことになるだけなんだ。それが、生きる意味みたいなものになるんだ。でも、ほんとは最初からないんだ、意味なんて」

「意味もないのに、どうして生きなきゃならないのかしら」
「べつに、生きなきゃいけないわけでもないんだけどね」

「私ね、ほんとうに自分が分からないの。気分によってコロコロ変わっちゃうの。5秒前はあなたのこと好きだったのに、もう嫌いになったりしてる」
「うん。気分を、自分のものにできたらいいよね。おかしなものだねえ、自分のものであるはずなのに。たいていのヒトが、気分に操られて」

「充ちゃんは、夢とかあるの?」
「作家にはなりたかったなあ。モンテーニュってフランスの思想家がね、自分の塔に引きこもって、自分のことを探求して、エセーって作品を書いたんだ。今の『エッセイ』の語源だね。約20年、引きこもって書き続けたんだ。憧れたなあ!」
「ふぅん。そういうのって、幸せなのかな」

「ぼくは自分に一番関心があるんだ。その自分のことについて考えて、書くって、幸せだと思う。一枝ちゃんは?」
「私、何が幸せかも分からないから」
「うん。幸せだと思えば、幸せになると思う。不幸だと思うと、ほんとに不幸になる。幸せだって思うことから始まるんだ、幸せって、きっと」
「始まらない」
「うん、始まらないね」

「ねえ、私のこと、愛してる?」
「うん、愛してるよ」
「愛って何?」
「罪を許すことだと思う。一枝ちゃんがワガママで、気難しくて、とてもイヤな女の子だとして、それを罪だとするよ。でも、ぼくは許してるから、愛してる。愛してるから、許せてる」

「じゃあ、私がいっぱい悪いことをしたら、それだけいっぱい愛してくれるの?」
「自分との戦いになると思う」
「後悔しない?」
「愛しても、愛さなくても、後悔すると思う」

「私ね、いろんな人を好きになるの。ひとりの人を、ずっと好きでいることができない。浮気性。イヤだよね、そんな女」
「いいんじゃないかな。だって一枝ちゃんは誰のものでもないんだから。浮気はダメだなんて言う人は、自分に自信がなくて、ヒトをモノだと思ってるんだよ」

「でも普通、ダメよね」
「その普通のために、一枝ちゃんがつらくなることはないと思うよ。気持ちは不安定なものだし、安定させようなんて、そもそもムリだよ。一枝ちゃん、そのままでいいんだよ」
「自分が分からないのに、そのままでなんかいられない」
「そうだね、いられないね」

「愛と恋って、何が違うと思う?」
「恋は、ひとりでするものだから、相手とは直接関係がない。愛は、その相手との関係から生まれて、ふたりでつくっていくもの…。でも、そのふたりも、ひとりの中でふたりだと思うところから始まるから、基本はひとり作業だと思う」

「淋しいもんだね、生きるって」
「いつも、自分には自分がいる、と思えば、淋しくないよ。あの人と恋人になりたいって思う自分につきあったり、眠い自分につきあったり、バイトしなきゃ、したくたい、勉強しなきゃ、したくない… 自分ひとりで、大賑わいだよ」

「私は、死にたいって思う時があるんだけど、どうしてそう思うのか分からない」
「いろんなことを、知っちゃったんじゃないかな。自分の思う通りになれば、その時満足しても、そのうち満足しなくなることを知っちゃったから。ならば、この果てしない欲望をもつ自分自身を根こそぎ消してしまおう… それで死にたいって思うんじゃないかな」

「何も知らないんだけどな、私」
「何も知らないことを知ってるんだよ、一枝ちゃん」
「それでどうなるわけでもない」
「うん」
「何にもならないじゃん」
「そうだね、何にもならないね」

「… しかしなぜ生きているのか、ほんとうに分からないね。僕は宗教は持っていないけど、そういう本には人間の存在理由が書かれているんじゃないかと思って、聖書と仏典をカジッたことはある。聖書では、神様が〈光あれ、水あれ、空あれ〉とか言って、その1つとして人間をつくっただけだった。仏典では、なぜ人間が生まれたのかについては特に書かれていなかった」

「そりゃ宗教、神様自体、人間がつくったものだもん」
「でもほんとうに不思議だと思う。なんで生きてるのか、それは知りたいよね」
「そうよ。ひとりひとりが自分はこのために生きているって、勝手に思うのはいいわよ。でも、人間全体、人類として、どうなの、ってことよ」

「僕の想像だけど、試されてるって思う。苦しいことが多いから。苦しい時、試されてる気がする。この世界とか宇宙をつくった、神様みたいなのに」
「輪廻転生?」
「うん。そう考えないと、どうも納得できない。何かに試されて、頑張っちゃったりして、生きて、その人生をチャンと生きた人だけが、チャンとした次の世界に行ける気がする。今ここに生きているのは、そのための期間限定の『お試し』で」

「『気がする』って何なの」
「分からないけど、たぶん第六感とか直感とか。ぼく、ほんとは言葉なんか無くてもいい気がする。相手の気持ちを想像するだけで、理解し合える気がする。言葉を使うと余分なものがついてきて、嘘になる気がする」

「ねえ、充ちゃん覚えてる? ちっちゃい頃、一緒に生きようって約束したの」
「えっ!? ちっちゃい頃って、生きるとか死ぬとか、知らないよ」
「大きくなったって、生きるとか死ぬとか、知らないじゃない。だから、ちっちゃい頃から知っていたのよ! 」
「でも僕ら、今日たまたま偶然会って、ヒマだからこうして話し合っているだけで…」
「いいのよ、べつに」
「全然覚えてない。ごめん。でも約束したなら、果たしたい。どうしようか」

「どうもしなくていいのよ。ただ、生きて、死ねばいいんだわ」
「一緒に、って約束は?」
「ちょっと時間がずれるだけで、生きて死んだだけで十分一緒だわ。私ね、誰とでもこの約束してるんだ」
「へえ」
「ね。生きて、死にましょうね」
「うん。その約束なら、果たせると思う」
「よかった!」

 ぼくらは店を出て、別れた。