人生は苦しみなのだと

 人生は苦しみなのだと、心底から思えたら、苦しみもあきらめられて、こんなもんだで済むのかもしれない。
 つらいものなんか、この世には存在しない。つらい・苦しいと感じる心が、つらい、苦しいだけなのだ。

 楽を、喜びを求めるから、相応の反動を受ける。
 もともと、何をしても苦なのだと諦めてしまえば、たまに来る楽や喜びも、まるごと心を占領することもあるまい。

 やあ、来たね、と、微笑んで受けとめられるだろう。
 そして、あ、行くんだね、とそれが去るのを、訪れた時と同様、微笑んで見送れるだろう。

 通りすぎるのは一瞬で、チャンと「苦しさ様」がご予約されている。
「喜び様」は、たいてい不意にやって来るので、だれかの落とし物のようだ。
 そしてまた拾いたい、と探し求める心は、臆病で、「苦しさ様」の来訪を拒みたいとする。

 もともと苦しいものなんだ、生きるってことは、と思うことは、勇気がいる。
 じつは勇気も要らず、ただ諦念する。人生は苦であると腹をきめる。
 それだけでいいはずなのだが。

 何も、苦を求める必要はない。
 苦楽も通りすぎる。
 この人生とよばれるもの、生きてる生自体が、通りすぎる「通行人A」のようなものだ。

「人生は、苦なのである」。微笑んで、そう心底から思うこと、これができたら、とねがう。
 ねがう必要もない。そうなっているんだから、とみとめる。微笑をもって。
 すると、なにやら、楽になる気がする。