戦後文学、第三の新人、etc.etc.

 どうも、その区分けの仕方がよくわからない。

 椎名麟三、武田泰淳、野間宏らが戦後文学であることはわかる。彼らは助け合い(何しろ死体がゴロゴロとあった道を歩いた人たちだ)、何やら野太い、団結力のようなもの、「生きる」ことに対して現代にないような姿勢で、だから文学にもそのような雰囲気を感じる。

 助け合う、全くそうしないと、生きることができなかった時代。戦後は、きっとそうだった。

 だが、その椎名さんらのいた時代には、太宰治や三島由紀夫、田中英光、大江健三郎、石原慎太郎、山川方夫、遠藤周作… かれらも確かにいて、想像するにそれはとんでもない、すごい時代だったように感じられる。

(マンガ家の手塚治虫も、焼け野原になった町で何百という死体を見た人だ。ほんとに、戦争を体験した人たちは、ものすごい体験をしたと思う)

 あっけなく奪われる生命。しかも「戦争だから」という理由で。正当化された狂気、ほんとに、言葉もない。

 ここで云いたいのは戦争のことでなく、あの時代の文学の世界の「区分け」は何だったんだろうということだったが、書いていたら少しわかってきたから、もうこれについて書くのはやめよう。

 どうも「あの時代」、戦後の数年間というのは、とんでもない時代だったようだ。

 文学の世界のみならず、音楽、絵画の世界でも、要するに社会、個々人が生き、生活をする町の中で(それは実際には都会に限定されるかもしれないが)、ほんとうに人が生きていたような、すごい時代だったように想像する。

「まあ、町に出れば、あっちでギター弾いてるヤツがいれば、あっちでは何かやってるヤツ、こっちにも何かやってるヤツ、もうね、刺激的でしたよ、それは」

 泉谷しげるも、そんなことを言っていた。

 人が、そうぜざるを得ない、それを求めざるを得ない、やらざるを得ない、そんな時代だったように想像する。一種の、何かの爆発だ。(岡本太郎もいた)

 明治の、どこかのんびりした風景、雰囲気とは雲泥の違いだ。これも、イメージの問題だけれど。

 漱石は、その明治の時代の中で、奇妙な孤独のなかにいたような… 人間を見つめる視点、本質を見極める、鋭い感性のなかに、ひとり黙々と机に向かっていたような姿が浮かぶ。

 さて、ぼくは何を云いたかったのか。憧れ、か。あの、人間の悪徳と野蛮さ、残虐性、二度と発芽させてはならない人間の狂気、為政者権力者が勝手におっぱじめた戦争のあとの、生き残った「一般市民」のエネルギーの迸り。

「焼け野原」にならないと、そんなエネルギーは出てこないのだろうか。

 想像力。これさえ、しっかりすれば、いちいち現実にあんな悲惨を繰り返さなくても、済むように思えるが。そして人間の、人のエネルギーも、正しい方向、何が正しいかはさておき、せめて間違っていない方向へ、行くもの、と思うのだけれど。