「ところで、核兵器を使うんですか」
「いい顔しか見せない偽善者が、これからも牛耳っていく世界であるならね。正しきは誰だったか、歴史が判断するだろう。ただし、そう判断する、聡明な人間がいたらばの話だがね」
「あなたは、まじめに仕事をされているんですね」
「国民の命を守るのが私の仕事だ。核を使う時は、守る手立てがそれ以外になくなった時だよ」
「あなたは、まじめすぎるのかもしれません。昔からそうでしたね」
「当たり前のことをしているだけだよ。だが、主治医によれば、私は病気でね。もうすぐ死ぬらしいのだ。で、そろそろこのボタンを押そうと思っている。
私の死後も、この邪悪な世界が続くことが許せないからね。環境破壊も改善されず、もう戻れないところまで来ている。リセットされるべき時に来ているのではないかね? 愚鈍な者が、蔓延りすぎたのだ。
わが民は、他民族より賢い。私の遺志を引き継ぐ真の賢者が、この世界を善道へ導いてくれるだろう。人間の再生は、ここより他の場所に残されていない。
ここから、新しい人類史が創られていくだろう。安心したまえ、ミサイルは西の方へ飛ばすよ。
ああ、きみと一緒に、この仕事をしたかったよ。何しろ、144,732,514人の命を預かる仕事なのだ。疫病や事故で、その日の死亡統計をスパコンで見るたびに、毎晩眠れない。
呼吸するのも苦しくなる。一国のリーダーなんて、孤独な、ほんとうに孤独なものだよ。もしきみがサブ・リーダーになってくれていたならば、さぞ違っていただろう。だが、きみは頑なに拒んだ、『為政は人間にできるものではない』と言って」
「そうですよ。政なんて、人間のする仕事ではないですよ。
ところで、『人間はひとつにならないと平和は来ない』があなたの持論でしたね。それを率いる集団がひとつでなければ、民がついて来るわけがない。
だからあなたに異論を唱える者を、あなたは許せず、排除してきた。自分から、孤独になったようなものですよ」
「なぁギジン、きみは私の想い出そのものだ。一緒に、『ペチカ』をよく歌ったね。そり遊びも、楽しかったね。親に隠れてウォッカも飲んだ…」
「とうの昔の、子どもの頃の想い出ですよ。それより、ウラジーミル…」
「きみは私の、最初で最後の友だ。だから聞いてほしい。私は間違っていたのだろうか。国を思い、民のことを思い、正しくあろうと努めてきたのだが」
「あなたは自国のために、民のために、そして正しさのために、最後は自分が死んでしまうために、最後の手段を使おうとなさっている。あなたは不安なのでしょう。後悔の念も、垣間見えます。
ウラジーミル、あなたの正しさは、間違っていたかもしれません。今や孤独は、あなたの問題だけでなく、国の問題になっていますからね。
ですが、間違うことは正しいのです。『正しい』は、『間違い』です。だから間違うことは、正しいのです。許してあげて下さい、まずあなたご自身を。
あなた以外に、あなたを許せる人間はいませんよ。楽になって下さい。そうして夜、よく眠れるようになって下さい」
「ああ、懐かしいねえ、ギジン。あの頃は、夢があった。一緒に、雪の中を飛び回ったねえ! 親の保護の下にいたから、安心して夢を見れたのだ。
私は、国民の親になりたかった。安心して暮らせ、国民の一人一人が夢を見れる、幸せな国をつくりたかった」
「みんな、夢を見ていますよ。幸せなんか、彼ら自身が見つけるもので、与えてあげられるようなものではありません。
ウラジーミル、あなたは立派な仕事をしようとしすぎたのです。あなたは人間以上、自分以上になろうとして、十分がんばりました。
その努力のために、まわりを巻き添えにしたことは、あなたの正しい間違いだったんです。
認めて下さい。許して下さい。あなたがあなたであるために苦しんでいるのを、私はもう見ておれないのです。
ウラジーミル、誰もが年を取り、老いてゆきます。いえ、老いる前から、過去を忘れてゆきます。
あなたの、この国に対する思い、情熱は本物でした。忘れてはならないことは、だから今もしっかり、忘れずにいらっしゃいます。
あなたは優しい人でした、子ども時分にも、見知らぬ子が溺れているのを見て、あなたは冷たい川へ飛び込んでいった。あなたは今も、川にいらっしゃる」
「私の専属カウンセラーとして雇われて、きみは幸せだったかい?」
「なに、これが私の運命かと、あきらめましたよ」
「不幸ではなかった?」
「ええ。どっちかといえば、幸せでした。生きてますから」
「なら、よかったよ。ところで、私は裁かれるのだろうね」
「裁かれますね。裁く者も、また裁かれるでしょう。善悪の観念が人にある限り」
「許されることはないのだろうね。誰も、私を許してくれる者はいないのだろうね」
「それをするものは、あなたの中にしかありませんよ。
さあ、手はじめに、電話をかけましょう。あなたが、あなた自身をすっかり忘れてしまう前に。
私でよければ、電話が終わるまで、ずっとあなたのそばにいますよ。自分に向かうようにして、言うのですよ。国際電話は、久しぶりですねえ…」