さて、孔子は言葉をあらためて言った。
「とはいうものの、お前が行こうとするからには、きっとそれだけの根拠があるからだろう。一度それを話してみたらどうかね」
すると、顔回は答えた。
「けじめを正しくして、心に雑念を入れず、つとめて純一でありたいと思います。これでは、いかがでしょうか」
「ああ、それはだめだよ。そんなに剛気一点張りなことを、心が充実している証拠だと錯覚すれば、意気ばかりが盛んで、感情の動きも激しくなるばかりだ。
そんなものに向かっては、ふつうの人間は反対もできない。
それにつけ込んで他人の感情を押さえつけ、自分の心の思うがままにしようとする。
このような行為のことを、『日ごとに少しずつの徳を完成することもできない』という。
まして大きな徳など、思いもよらないことだ。
そんな調子では、相手は自分の立場を堅く守り、お前の教化を受けようとはしないだろう。
たとえ、外面は調子を合わせたとしても、内心では何を考えているか、わかったものではない。だから、それはむりだよ」
── 顔回の心づもりを、孔子はあっさり否定している。
しばらく、この問答が続く。