昨日、呼吸をみつめる瞑想をしていると、あることに気づいた。
呼吸をしている時── 鼻から息が入り、鼻から出て行く時── この繰り返しを自動的にしている身体を意識している時。
息が出て行く時のほうが、記憶に残る。
息を吸った時は、覚えていない時がある。
あれ、今吸ったんだっけ、吐いたんだっけ、と、どっちがどっちだか分からなくなる時がよくあった。
その時のたいていは、「吸った時」だった。
で、これから吐く時、あれっ、これからどっちだったっけ、となるのだった。
そして、あ、今吸ってたんだ、と、その時はじめて気づく。
吸うよりも、吐くほうが楽なのだ。
口は常に閉じているから、吐くという表現はふさわしくない。
「鼻から息が出て行く時」だ。
その「出て行く時」のほうが楽なのだ。
深呼吸する時、吸うより吐くほうが気持ちいいのと同じだろう。
あ、オレ生まれたこと、忘れちまったな… そう思った。
息を吸う時、いのちが入ってくる、と思う。
息が出て行く時は、その逆だ。
そしてまた息を吸う、身体は、自動的に。
息を吸う時は短く、出て行く時は長く感じられる。
あ、と思った。
楽なほうばかりを求めて、それを記憶しようとしているんだ、と。
いけない、いけない。吸う時も、ちゃんとみつめよう。
そこから、いのち、始まっているのだから。
忘れないようにしなくちゃ、と。