今や、一抹の信用もおけない国、嘘と欺瞞に満ちた国になってしまったけれど(それは日本も変わりない)、かの大国はその思想史において多くの賢者を輩出した。
歴史、ことに思想の歴史は、読むにあたって想像、これは思想の親戚のようなもの、の力を働かせることになる。
それが2000年くらい昔の話になると、時空を越えてロマンめいたものも感得されるし、現在に翻ってさらに古人の考えを進めてみたくもなる。
かの国の、すぐれた思想家たち。「思い」「想う」、その「表現史」は、孔子から始まるといっていい。
儒教。この「教」は宗教のそれではなく、「教え」の教。きわめて道徳的なもので、神仏を崇める類いのものではなかった。
古来、かの国にはキリスト的な人格神は存在しない。太古の昔にはあったようだが、「自然」、「天」が神であるという見方に変わった。
それは農耕生活という現実のために、「天候」に左右されざるを得ない必然に基づいたものだった。
孔子の生きていた時代、国は、もう一歩で乱世という、不穏な春秋時代のほぼ末期、戦国へ突入する芽吹きがすでに十分にあった、不安な時代。
「偉大な凡人」という、おかしな称号が似合う孔子は、ブッダやソクラテスのように宗教的でも哲学的でもなく、誰にでも言えそうな常識的なことしか言っておらず、学校の道徳時間がそのまま人間になったような人であった。
それが、単なる俗人に収まらなかったのは、常識の範囲内にあるものをそれだけのものにせず、常識に普遍的な真理めいたものを見、求め、それにトコトン拘泥し、追求しようとつとめた、その一途な態度、粘着質な性質、頑なな姿勢に依る。と、私には思われる。
思想、それに基づく人間の生き様(生き様は、どうしたところで形而上から派生する)というのは、その時代の風潮と無関係ではいられない。
孔子の「保守的でつまらない常識人」というイメージは、安定した形而下の時代に生きる人間が抱くもので、かれの生きた現実の世は不安定この上ないものだった。
その世を、どうしたら平和に、争いのない、穏やかな時代に導けるかというところから、「道徳を重んじる」思想を孔子が説いたということ。
当時、学識のある人間は政治コンサルタントのような仕事をし、この世をどう治めたらいいか、為政者に進言を求められる立場だったという。
そして孔子の説く「道徳」は、ほとんど見向きもされなかった。それが、なぜ後世に残り、思想の礎をつくったかのような位置にあるのか?
そもそも、道徳とは何か。「父を敬え」といった父家長制度、「家族主義・家族愛」に重点を置いたものだった。
孔子は、乱世になる不穏な空気のうちに、前時代の、「平和で穏やかだった頃」が、なぜそうであったのか、そこに救いを求めた。
前時代には、「道徳」があった。父を一家の大黒柱とし、妻はそれに従い、子は父を敬い、この上下の関係が、平和な時代には平然と行われていた。
孔子は、その前時代を現時代に寄り戻すことで、乱世の不穏な空気を平和に戻そうとした。
日本では、漱石が、「今はもう誰もが孔子になっている」と言った。道徳など、たいしたものでなくなった。
むしろ、そんなものは、なくしてしまいたいと思う。つまらないものだと思う。その前に、自然に壊れていくようにも思う。また、揺り戻るようでもある。
ともかく、孔子の唱えた「道徳」。偉大な凡人の説いたつまらない常識、くだらない因襲、これが基盤になって、かの国の様々な思想、人はいかに生きるべきかといった 様々な思想が、海越え山越え時間を越えて、書物の形で様々な思想家が思想を述べ、今もその形が残っているということだ。