(1)自由を求めて

 1843年、デンマーク、コペンハーゲン郊外の借家。
 彼が、玄関からばたばたと入って来て言う、「人間はまことに不合理だ。彼らは自分の持っている自由は少しも行使しないで、自分の持っていない自由を要求する。彼らは思索の自由を持っているのだが、言論と執筆の自由を要求する。*」
 大きな眼を、少しうつむき加減にして。だが、口元には微笑が浮かんでいる。そのまま彼は、三つある個室の、今日は真ん中の部屋へ入って行った。彼は、様々な偽名を使い、三つの著作を手掛けている。ヴィクトル・エレミタ── 真ん中の部屋は、その名で発刊予定の「あれか、これか」を著述する部屋だ。

 彼はわたしに、暗示的な言葉で常に思索を要求する。スナー・ゲーゼ通りを散策中、彼は多様な想念に憑かれる様子だ。そして帰って来れば、その思念の一端をわたしに呟くのだ。
「そう、きみはきみ自身に、思索を要求される。それが正しい、ぼくの読み方だよ。
 なぜぼくが、いくつもの偽名を使って出版するか知ってるかい? 同一人物の筆名だと、矛盾に陥ることを知っているからだ。といって、ジレンマを避けるためにそうしているのではない。ぼくの著作一つ一つには、一貫した地下水脈が流れているのだ。あるいは、同じ空から一つ一つが全的に同じ色に照射される。

 一体一体が異なった主張をしながら、それを包括する全体が見える展望台。そこに立って、初めて個が全体となり、全体が個となる。つまり人間が、人間となるのだ。きみがすでに持っているきみ自身の展望台から、ぼくという著作を見れば、きみはきみ自身と否応なく向き合うことになる」

 彼は生涯、生活の資を自分で稼ぐことをしなかった。毎年、父親から十分な仕送りが一括して届いていたし、父の死後は、その遺産を消費し続けた。彼は、その恵まれた境遇、運命を、「自分は著作するために生まれてきたのだ」と使命に変えた。

「おのれが、それによって生き、だからそれによって死ねる、その対象に生を注がないことには、この生に何の意味があるだろう?」などと言って。
 賃金労働をしたこともない、そのお坊ちゃん性が弱みだと、世間様から見られてもいる。だが、誰もが、定められた星の下に生まれ来るものだ。それを誰が責められよう? いや、星の下どころか、ひとりひとりが星そのものなのだ…

 わたしは彼と、非常に近い空間に浮かんでいる。彼の運命と、わたしのそれが似ているのだ。可視下の事象としての運命でなく、可視なものをつくる不可視な運命の事情が。
 引力に引っ張られるように、彼とわたしは40年前に出逢った。以来、ずっと一緒に暮らしてきたが、ついに彼は決定的な物言いを一度もしたことがない。暗示的な言葉を投げかけては、わたしをただ思索に誘うだけだ。

 彼は、「おのれが現に理解しえないものを、理解しうるおのれへと生成すること」をこそ、彼自身の生の課題とした。同じ軌道にあるわたしは同様の仕方で自転した。わたしと彼は、確固とした個体どうしであり、一定の距離を保ち続けながら、この重力から外れることなく、宇宙の法則に従った点と点として同じ線上をたどる。

「あれか、これか」から開始された、彼の著作活動。

「結婚するがいい、そうすれば君は後悔するだろう。結婚しないがいい、そうすれば君はやはり後悔するだろう。結婚するかしないか、いずれにしても君は後悔するだろう。君は結婚するかしないかのどちらかだが、いずれにしても君は後悔するのだ。
 世間の愚行を見て笑うがいい、そうすれば君は後悔するだろう。世間の愚行を見て泣くがいい、そうすれば君はやはり後悔するだろう。世間の愚行を見て笑うか泣くか、いずれにしても君は後悔するだろう。君は世間の愚行を見て笑うかそれとも泣くかのどちらかだが、いずれにしても君は後悔するのだ。

 一人の娘を信頼するがいい、そうすれば君は後悔するだろう。一人の娘を信頼しないがいい、そうすれば君はやはり後悔するだろう。一人の娘を信頼するか信頼しないかのどちらかだが、いずれにしても君は後悔するだろう。
 首をくくるがいい、そうすれば君は後悔するだろう。首をくくらないがいい、そうすれば君はやはり後悔するだろう。首をくくるにしても首をくくらないにしても、いずれにしても君は後悔するだろう。君は首をくくるか首をくくらないかのどちらかだが、いずれにしても君は後悔するだろう。*」

 彼は言う、「なるほどぼくは人生の主人でなく、人生の織物の中に織り込まれるべき一本の糸にすぎない。それでよろしい、ぼくは織ることはできないにしても、糸を切ることはできるのだ。*」
 キルケゴールよ、切ってはいけない! わたしは彼のドアを急き込んで開ける。
 彼は、机に向かう背から、ちらとこちらを見る。その横顔に、幸せそうな微笑が漏れている。「知ってるよ」彼が無言でいう。「知ってたよ」わたしも無言で返す。
 さあ、セーレン、晩ご飯だ。今日は、japanのきりたんぽだ。温まるよ。きみは家系的に、34歳までしか生きられないのだ。しっかり食べて、思索を続ける体力を。

 セーレン、きみはずっと自由を希求していたね。自由を、明らかにしようとすることが、きみの著作活動のすべてだった。きみはきみの自由からの請求書に、その内訳を仔細に仔細に、明文化することだけに一心に努めた。
 きみは、モーツァルトが好きだったね。ドン・ジョヴァンニについては、まだ手前の部屋で書いているのかい?

 * 引用:キルケゴール著作集1 「あれか、これか」第一部(上)より、浅井真男訳