夏の夜

 昨夜も眠れず、暑苦しいのもあって窓を開け、レースのカーテン越しに入って来る小さな風が少し嬉しく、布団の上に横たわっていると月の光も入ってきた。

 月の光、こんなに強かったっけ。畳の上に手をかざすと、黒い、五本の指がくっきり、重い影になって畳に映る。

 午前も一時を過ぎた頃、やっと涼しくなった気がした。月の光が気になって、でも懐かしい気もして、月の光を浴びながら微睡んだ。

 幼い頃、やはり暑い夏の夜、母が団扇であおいでくれた記憶。母は17歳で長男を亡くしている。生まれ代わりみたいな私を、さぞ大切にしてくれたろうと思う。きっと母には、死が何の前触れもなく、ほんとうに突然やって来ること… このことが、ずっと心から離れることはなかったのではないかと思う。

 縁側の、開けたガラス戸からも全く風が入って来なかった。仏壇のある六畳間で、やはり暑苦しかったろうが… 今、自分の中に残っているのはそんな暑さでなく、母のやさしさ、それだけだ。

 長男、私にとっての兄が、急逝していなかったら、私は生まれて来なかったろう、と今でも思っている。

 運命、というのは、あると思う。

 私は、この両親の下に生まれるべくして生まれた、と、完全に後付けの理由、何のために付ける理由かも分からぬが、そう思っている。信じている。

 今の私は、何のために生きているのかも知れず、生きる根拠も特になく、だから不安になって、眠れぬ夜も多くなった。寝つきが悪い、が正確だろう。寝てしまえば、そして身体が睡眠をほんとうに欲していれば、たぶん眠れるのだと思う。

 先のことを不安に思い、それが先のことであり、今、その先に対して何もしていないこと。何かはしているが、それが「先」に、決定的な変化を何も及ぼさないだろうこと。そんな変化を、まるで求めていないように、しかし今のままでは不安であり、といってその不安に対し、何もせず、どうにかしようともしていないということ。

 不安になるべくして、不安になり、不安であることしかできないということ。

 それでも昨日の月、あの月の光は、ありがたかった。

 中年になって、二度目の結婚生活みたいなのを始めた二年目の夏の夜も、あのお月さんの光が部屋に入ってきていた。やっぱり暑い夜だった、猫を飼い始めて最初の夜、猫の動向が気になって眠れぬ夜だった。

 猫は11年生きた。振り回されっ放しだったが、可愛い猫だった。

 いろんなことが、想い出された。

 この過去、過去の想い出に、ずいぶん苦しめられる。今、特にやるべきことの中に生きていないから、過去にばかり捕らわれて、死にたくなる夜がある。

 今を生きていなければ、過去に生きることになる。もうどうにもならないことを思うのだから、悔恨のような気に苛まれる。また、そのようなことばかりが思い浮かぶ。

 それでも、昨日の月は、ありがたかった。この家に約十年住んで、初めて、月の光が、あんなに部屋の中に射し込むことを知った。

 ありがたい、夜だった。