その判断の材料として「PV数」がある。だが私はこの数を当てにしていない。というのも、この「希望と絶望の間に」以外にもう一つ、ブログをつくったことがあるのだ。
もう名前も忘れたブログだが、それはモーツァルトとカラヤンのことを書いた一記事だけのものだった。それが、毎日1000以上の「PV数」で、さらに外国からたくさんのメールが毎日来たのだ。もちろん、機械が機械的に送信しただけの、「読者不在」のそれであった。異常なPV数は一ヵ月以上続き、私はもうそのブログを閉じてしまった。
私はコノハウイングというサーバーを使っていて、ここでこのブログのアクセス数も見ることができる。ほぼ毎日更新しているが、平均PV数が700ほどである。一記事だけのが平均1000以上であったのに。明らかにおかしな挙動である。その閉じたブログは英語のタイトルだったせいもあるかもしれない。
PVより、「UU」がほんとうの読者数を表すらしい。これはホントウだと思う。これによれば、平均50人ほどで、私も納得がいく。
こんなことを書いていて、いささかむなしくなるが、じつにPV数なるもの、アテにならぬという、一つの証左であると思う。
たとえば参加している「ブログ村」などのPVは、あるていどアテになると思う。これによれば、私のブログは更新しない日は1人だけだったりする。要するに、読まれていないのだ。
以前よく書いていた「NOVEL DAYS」という投稿小説サイトでは、全然更新していなくても読まれ続け、もう110万アクセスに届く勢いなのに、ブログでは一向に読まれない。自分の書いた物の、「置き場所」、「サイトの水」に合うかどうかは重要であるようだ。いまだに「いいね!」が入ってくる。ありがたいことだと思う。
私のこのブログは、なぜ読まれないか。読んで頂ければ、というよりパッと見て頂ければ、もうお分かりかと思う。文字が多く、写真もなく、「~である」「なのだ」調の、何やらエラソウな文体。キルケゴールだツァラトゥストラだと、わけのわからない内容。(わかる人にはわかる、と信じたいが)
量も多い。今年の一月から始めて、もう1000記事を越えた。それはいいとして、全記事を読んだ人はいないと思う。
泣き言を書こう。youtubeではショート動画、言葉のやりとりでは twitter、というふうに、いかに短い表現で、無駄なく、おさめたものがいいのだ。それが全盛の現代なのだ。長く、まどろっこしい、何が言いたいのか分からぬような内容のものは、全く読まれないと言っていいだろう。
かなしいことだが、私の場合、このような書き方しかできないのだから仕方ない。「です・ます」調の、読み易い、やさしい、わかりやすい、相手の身になった、丁寧な文体で書くのがいいのだ。それがいいのだ。これは私の処世のようなものを表しているかもしれない。だがヒネクレでなく、まったく、こうした「読まれ難い」書き方しかできない。
何も書かぬがいいのは分かっている。第一、不健康である。こんなことを書いて、机にへばりついているなんて。PCやスマホの画面は、眼にも良くない。
でも、コノハウイングとの契約があと二年も残っているから、その間は書くだけ書こう。
すっかり朝晩は涼しくなった気もする今日この頃。貴重な読者様(がいらっしゃるとすれば)、どうか「健康第一」でお過ごし下さい。