「自分にとってメリットのある関係」

 昔々、ちょっとだけ関係をもった人に、「(自分は)自分にメリットのある人としか関係は持ちたくない」と言われたことがある。

 ちょっとした飲み会のような席で、彼が私だけに向けて言ったのか、横にいた誰かに向けて言ったのか、定かではない。たぶん目線は私に向いていたが、発言は横にいた人のことも意識していただろう。

「人間関係」みたいなことを話題にしていたと思う。

 私は軽薄な人間であるから、「誰とでも仲良くしたい」とか言っていたのかもしれない。それに対し、彼は反論?したのかもしれない。

 彼の言葉は、フッと、今も蘇る。当時は、「ズイブン、ドライなヤツだなあ」と思ったが、それから数年経つと、「ああ、あいつの言ったことは、そうだよな」と、ちょっと「正しい」ような気がしたりした。

 それからまた数年経った今は、「いや」と、また違った感慨をもつようになった。

 メリット… 要するに自分に「益」のある人との関係はウェルカム。それ以外の人との関係は、あまり持ちたくない、ということだったろう、ということを前提に。

 今思うのは、それが自分にとって「ためになる」「だから失いたくない」「大切な関係」と、その時思えたとしても、その「益」、自分にとってのメリットというものは、時が流れれば変わってくる、全然メリットではなかった!とさえ思える時だってあるだろう、ということだ。

 つまりメリット… シャンプーみたいだが、実際アワのようなもので、その時は巨大に目の前に見えたとしても、その時右下に小さくあった泡が、思い返せばよっぽど大きかった── あの時軽視していたものが、実はとんでもなく自分の「ためになる」ものだった… そんなふうに、変化するように思う。

 そんな記憶が、あの時小さな泡があったことを覚えていればの話だが。

 きっと記憶は何かの拍子にフラッシュバックしたりするから、きっと何かの弾みに思い出すこともあるかもしれない。

 そう、まったく、変化するのだ。あ、あの時の自分の価値観は、とか、今の自分の価値観は、とか。

 それを変化させるのは、この「自分」をとりまく環境だろう。

 この環境は、… 何か運命的なものがある気がする。偶然なのだが、必然的な。人との出逢い、情報との出逢い。

 植えられたら、そこから動けない植物と違い(かれらはその土、環境に自分を変化させる、順応しようとすることができるが)、ヒトは動くことができる。根っ子ごと、ヒトひとりが、自分にとって息の吸い易い場所、環境を選ぶことができる。つくることもできる… 思考や心を働かせて。

 だからメリット、自分にとってメリットのある有益な人、またその関係というのは、けっして永続的なものでないだろう。

 人との出逢いも変わる。情報も変わり、モノも変わり、ココロも変わっていく。

「益」なるものも、変わっていく。

 私はといえば、… 気楽な関係、気軽な関係がいい… かな。有益も無益もなく、軽く… なれないかなぁ。ん、もうなってたのか、もしかして。