生活の仕方、世渡りについては何の関心もない。
世の流れに迎合する本および書き物には全く興味がない。
どんなに沢山の書物が今後、ネットなり書店に並ぼうが、ほぼそれは「他人から多く見られないと成り立たない」書物である。人に考えさせ、個々人の倫理・生き方を自己の内から見つめさせ、確固たる自己としての人生を歩ませるに足る書物は今後出ないであろう。
書き手自身が、世に迎合した自己を立たせているからだ。生活のためを標語にし、生活のためなら仕方ないだろうという免罪符を喜んで掲げ、せっせと「お仕事」をするわけだ。「何か間違っているかね?」堂々とした腹を出し、いかにも自信たっぷりそうに言う。
そのような人間に世は満ち溢れている。こぼれ落ちた私は、ただ笑うしかない。かろうじて言うには、「私は道を探しているのです。書物を、そのきっかけにしたいのです。自分で考え、与えられるでなく、そのきっかけとなりうる本を読みたいのです。よく考え、自己確立をし、その道を往き、よく死ぬために生きたいのです。それはわかり易いものでなく、教えられるものでもありません。自分でつくるものです。
そのために、私は本を読みます。書物は、先人の人生です。人そのものです。人は情報ではありません、ニーズに応えて生き死ぬものではありません。私は、書いた人の人生を、私自身の生き死ぬまでの人生の道の友としたいのです。読み易く、軽い、著者自身が自己探求をしない、その場限りの社交儀礼、人間関係のつきあいのような書物ばかりを生産しないで下さい」