電車の中で(2)

 大学へは、片道3時間ほどをかけて通っていたので、その電車の中では有形無形の様々なドラマがあったように思う。
 京浜急行の特急か何かで、4人の座れるボックスシートの、通路側の席にぼくは座っていた。車内は満席で、立っている人もいた。

 ある駅から、若年と中年の間ぐらいの男性が乗ってきた。
 彼は、ぼくの座る席のすぐ横に、つまり通路にいきなり座り込み、体育館座りの格好でひざを立て、そのひざとひざの間に顔を埋め、肩から伸びる両腕を頭のまわりにかこみ、ひざのあたりに両の手を結んでいた。

 独房に一人いる憂鬱、あるいはそれほどに疲れたのか、いやなことがあったのか、ともかくそのように座り込んだのだった。

 すると、ぼくの前に座る中年の後半ぐらいの紳士が、はっきりとした声で、彼に声をかけた。
「座りますか。」
 そして紳士は、席を立ったのだ。

「あ、いえ…すみません」とか言って、座り込んでいた男性はその席へ座った。
 ぼくは、あ、いかん、と咄嗟にその紳士に声をかけた。
「どうぞ。」
 紳士は、笑って、「いや…すいません、ありがとう」と、ぼくの座っていた席へ座った。

 この間、数秒の間である。ほんの数秒の間に、3人の男が、めまぐるしく座る位置を入れ替えたのであった。
 あともう2、3人が、何やら「どうぞどうぞ」と声でもかけ合ったら、ちょっとした滑稽な喜劇のようになっていたナ、と思うと、なんだか可笑しい。

 最初に席を立った紳士は、ほんとうに品のいい、徳のある感じの人で、今もたまに思い出す。

 … また、やはり京浜急行に乗っていた時のこと。
 車内は、それまでちらほらと乗客が座っていただけだったが、横浜だか川崎だかから、どっと人が乗ってきた。
 ぼくはロングシートに座っていた。

 と、ぼくの左横に勢いよく座った中年男が、ほとんど座ると同時のような速さで、眠り始めたのである。
 いや、正確には、座ると同時に彼は、ぼくの左肩をあきらかに枕にする体勢をもって、眠ろうとし始めたのである。

 この瞬間、ぼくは嫌悪を覚えた。正面に座る女子学生たちが、ぼくと、ぼくの左肩に頭をあずけて眠ろうとしている中年男を、じっと見ていた。

「キャア~」と、可笑しみを堪えかねる小さな悲鳴も聞こえた。
 ぼくは、汗をかき始めた。不本意な、いやな汗だった。

 しかし、ぼくは耐えた。中年男の頭(顔)を振り払おうとせず、そのままにさせておいた。
 目の前に座る4、5人の女子学生たちが、それぞれに声を出さずに、しかし、しっかり笑いを称えて、ぼくと中年男を見ていた。

 ぼくはそれにも耐えた。ぼくの顔は、恥ずかしさで赤くなっていたと思う。
 しかし、当時のぼくは、「耐える」ことが自分にとってのテーマだった。
 戦後文学の椎名麟三を読んでいた影響だ。

「耐えること=生きること」、と、椎名麟三はぼくに教えてくれた。
 ぼくは、すすんで、耐えたかったのだった。

 ぼくは結局、自分の降りる駅まで、耐えた。
 降りる時、席を立つその時まで、中年男はぼくの肩の上で、心地よさそうな熟睡を貫徹した。

 席を立つ際、少しだけ申し訳ない気がした。情が、移ったのかもしれなかった。
 ホームに出て、大きくためいきをつくと、清々しい気持ちになった。
 ひどいめにあった、とは思ったけれど、「耐えきった」という充実感のほうが大きかった。