セリーヌ途中…

 セリーヌの言いたかったことは本当らしい。言っているが、すでに。

 古代から現代まで、ユダヤ人への嫌悪を表わした、名の知れた人々の証文さえ列記して。タキトゥス、セネカ、ルター、ヴォルテール、フランクリン…

 下院議員、上院議員、銀行家、新聞社… 国家に関わる現代(セリーヌが生きているまでの)の表立った顔ぶれ、その仮面を動かす《悪魔崇拝》の人達の存在を、セリーヌは訴えている。

 どうも、セリーヌの言っていたことは本当らしい。おぞましい悪心に満ち満ちた、善や徳などは滅んで当然とする、それこそを生き甲斐とする、筆舌に尽くし難い邪悪な存在というものが、現実にいるらしい。恐ろしいことだ。

 とんでもない本を読んでしまっているものだ。こんな世界、絶望しかないじゃないか。紀元前から、もう始まっていた…

 困ったものだ。まさに、眼に見えぬウイルスだ。農業、肥料、医療、薬の濫用、美容、化学化合物、食、生産性、生産性!
 皆、《同じ顔》になる。価値基準の統一化。

 宗教、政治、経済。こりゃまいった。
 確かにセリーヌ、小説なんか書いてる場合じゃなかったろう。悲しいよ、これは。

 そういうことを言っていた人をぼくは現実に知っていたし、そういうことを考えている人も現実に知っている。たぶんぼくだから、言ってくれたんだと思う。セリーヌの本を読むまでは、「?」だったが。

 しかしまいった。処置なしじゃないか、もう。

 知って悪いことなど、何一つない。
 知った上で、だ。それでも、生きていかなきゃ。
 しかしまいったよ、こりゃ戦争なんかなくなるはずがない。アフリカもアメリカも、差別、貧富、民主主義なんてのも、独裁も、「誰が大統領になろうが同じ」──
 争い、嫉妬、憎悪、うらみ、ねたみ、そねみ、病気…(心のを含む)… なくなるはずがない、《不幸なニュース》。

 できることといえば… 何だろう、こっちの輪郭、おぼろげにできてはいるが。
 心… 心、なんて書くのも恥ずかしく感じられるようになってしまった。でも、心としか言いようがない。心を信じることだ…
 誰のでもない、自分の。そこから、やっていくことだ。
 ほかに、できることなんてないよ。
 知って、悪いことなんてない。知らなかったことが、悪かったんだ。
 ホントだろうがウソだろうが… 《知る》ことを、いやなことでも知ったことを、糧にすること!

 しかし…きっつい本だよ、マジで…

 しかしモンテーニュや荘子だったら、そんな邪悪な人間に対しても、泰然としていそうだな。
 いろんな本があることは、ありがたいことだよ、しっかりした・・・・・・筆者の存在が目に見える・・・・・・・・・・・本があることは!