Piano Rondo K.382

結局、どう指揮をとるかだ…
目の前にいる者たちでなく、この目の中の内にいるものたちを。
楽団員は「私」だ。「私」を構成するものだ…
私はその面倒をみさせて頂く…

カラヤン、ずいぶんゆっくりやってたな…

指揮棒なんか振らんでも、勝手にやっているんだが!
彼は何だったんだろう?
《やり手》だったには違いない… しかし空虚だ。
クーベリックさんのがいいな!

しかし何だって私は瞑想なんかし出したんだろう。
これも流れだった、自然、必然の。どうということもなく。
昨日はうまく行かなかったが。
いろんな時があるよ。

この身自体、不自由なもんだ。
あぐらをかこうが椅子に座ろうが正座しようが。
膝が違和感を訴え、腰が丸まり、足が痺れる。
どんな態勢でいたって、いいことなんかありゃしない。
そいつを、うまくやることさ!
この身がなけりゃあ、「私」もいられん。
適度に歩くなりして、調整するのさ!

味噌汁なんかも作ってさ。
何も食べなくても、生きていられりゃいいんだが。

しかし寒いのだけは参る、こいつだけは苦手だ…
ありがたいことなんだが。考えてみりゃ。

しかしこんな《宗教曲》にハマるとは思わんかったな。
単純に、人間がいることが面白い。
いろんな顔がある。声がある。
美しい、と言っていいんじゃないかと思う。
それを引き出させるもの── もともとそこにあったもの。

でもミサ曲ばかりじゃ大変だから。
ブレンデルさんとマリナーさんの、軽音楽。
いや、音に重いも軽いもない…
人間存在だってそうさ…