結局、どう指揮をとるかだ…
目の前にいる者たちでなく、この目の中の内にいるものたちを。
楽団員は「私」だ。「私」を構成するものだ…
私はその面倒をみさせて頂く…
カラヤン、ずいぶんゆっくりやってたな…
指揮棒なんか振らんでも、勝手にやっているんだが!
彼は何だったんだろう?
《やり手》だったには違いない… しかし空虚だ。
クーベリックさんのがいいな!
しかし何だって私は瞑想なんかし出したんだろう。
これも流れだった、自然、必然の。どうということもなく。
昨日はうまく行かなかったが。
いろんな時があるよ。
この身自体、不自由なもんだ。
あぐらをかこうが椅子に座ろうが正座しようが。
膝が違和感を訴え、腰が丸まり、足が痺れる。
どんな態勢でいたって、いいことなんかありゃしない。
そいつを、うまくやることさ!
この身がなけりゃあ、「私」もいられん。
適度に歩くなりして、調整するのさ!
味噌汁なんかも作ってさ。
何も食べなくても、生きていられりゃいいんだが。
しかし寒いのだけは参る、こいつだけは苦手だ…
ありがたいことなんだが。考えてみりゃ。
しかしこんな《宗教曲》にハマるとは思わんかったな。
単純に、人間がいることが面白い。
いろんな顔がある。声がある。
美しい、と言っていいんじゃないかと思う。
それを引き出させるもの── もともとそこにあったもの。
でもミサ曲ばかりじゃ大変だから。
ブレンデルさんとマリナーさんの、軽音楽。
いや、音に重いも軽いもない…
人間存在だってそうさ…