結局戦争なんて為政者の、しかし人間に必ずあり続ける自己顕示欲、権力志向、虚栄心の微々たる発露であって、そいつが生命や建物(人も身体による建造物だとして)を酷く破壊するということだ。人間の歴史は戦争の歴史! どんな発明も、この不断に続いた戦争史、今も続く戦争史を覆すほどの効力をもたない。なんとしても絶望だ、絶望できること、ここにのみ希望を見い出そう!
今や戦争も「またかの風景」の一部と化した、三年前はあれほどショックを受けたというのに! 慣れること、これは人の素晴らしい能力だ、こうして人は繰り返してきたんだ。慣れさすものが善であれ悪であれ、地蔵さんのように頑なな石になれず、生ける人間は柔らかく、傲慢に、慣れて慣らされ(これはほぼ同時進行だ)今日も昨日のごとく、昨日は今日のごとく、100年前は100年後のごとく、100年後は100年前のごとく!
もしあの三年前の衝撃、嘆き、悲しみを忘れまいとするなら、その手立ては想起することに限られる、戻ることに限られる。
セーレン・オービュエ・キルケゴール、その著作集18は、この人が肉体の死を予感したさなかに書かれたもの。父からの莫大な遺産をちゃんと使い切り、従僕な家のお手伝いさんもいなくなり、いよいよ身辺の孤独、ひとりで死ぬ、誰でもそうなのだが、目に見える死、死は見えねども肉体の死はどうやらある、これも自分には見えぬのだが!… 孤独、身も心も孤独な時間の中で、今まで自分の書いたものの視点、始点とも言えるもの、だから終点とも言えるもの、… 淋し気にペンを走らすセーレンの姿が見える。
かれの創作は、「どうしたらキリスト者になれるか」に始まり、一貫してこれを書き続けたということだった。一見キリスト教的でない著作であったとしても、かれの中では、彼をしてそれを書かせた動機たるものの根柢には、一貫してそれがあったという。
自分が死んだ後、私の著作の本意を誰が伝えうるか? このことに不安になったかれは、この「わが著作活動の視点」に取り掛かったのだった。
「椅子に座れば、いつまででも書き続けられる」と云っている。ただ睡眠したり歩かないと、また飲み食いをしないと、書けるものも書けなくなる。「私は事務員のように書き続ける、衝動的に書いたりすることはない」とも云う。とにかく書き続けた、また書き続けられた。
これを読む自分は、「どうしたら人間になれるか」と考える。もうなってるじゃないか、というのは違う。どうしたら人間になれるか。これを切実に感得する。今までもずっと「体内の棘とげ」(キルケゴールにいわせれば)としてあり続けたものだ。あの幼少時の、登校拒否児になった時からあり続けたものだ、今もあり続けているものだ。いや自分のことはもうよろしい!
そう、かれは書くことを体験と呼んだ。石に躓いたり、砂場に転んだ体験ではない。書くことが体験だった、かれにとって体験することが書くことだった! かれの人生、全生涯が、と言って全く過言どころの些事ではない、かれの人生=書くこと=体験、すなわち書くことがまさに生きること、人生体験そのものだった!
「なぜ? どうして? なんで?」キリスト教への信仰(人間には信仰することしかできない、信じるということしかできない、とかれは云っているが)を原点に、ありとある問いを自分に向けて(それを著することによって自分以外のものにも向けられたが)、この著作活動は結局戦いであったろう!
それも現うつつのものに対するというより、かれには常にキリスト、神へのおそれとおののきがあったために、血なまぐさい、現世における虚栄心的戦い、自己顕示的戦いとは全く異質のものだった。コルサール紙(金儲けのためなら、庶民にうけるためなら手段を選ばない俗悪の新聞、そして売れた新聞!)との悶着にしても、かれにとっては絶えず「神へのおそれとおののき」が、そのためにかれがかれであったとしても、全てはそこなのだ、
かれにとっては「この世のこと」だったろう。この世とは、かれにとってほんとうのキリスト者のいない世であった、ほんとうのキリスト者をつくらせない世であった、かれはそれ故にあれだけ著作を重ねなければならなかった、見て見ぬふりのできぬ、糾弾せざるをえないこの世だったろう!
だが、かれはあくまでもこの世に存在していたのだ、この世以外に生きる場がなかったのだ。これも、かれのよく、よく知っていたことだった。
「キルケゴールは人間をよく知っていましたね」と椎名麟三は言った。自分には、あのモンテーニュの言った「自分を研究することは人間を研究すること」に繋がって仕方ない。
内に潜るも、外へ羽ばたくも、書くということは、同じこと。そう思えて、仕方ない。書くということは、真摯なことだ。キルケゴールの「わが著作活動の視点」を読むにつけ、この真摯さを失ってはならないことを思う。現代では、なんとそれが… いや、もう言うまい!