自分の弱さについて(4)

 身体に、暑さに強い・寒さに弱いといった傾向があるように、気持ちにも、何に対して強い・弱いがあると思う。
 私は、人に対して、弱い気がする。いや、その「人」に対した後、ひとりになって、その人に対した自分の言動などを思い出し、気が滅入って、ひとりで弱くなる。

「人」を介して、自分の弱さを知る以外に、私はそれを知る術を持たない。
 だから、他愛もないことで人と何か喜びを共有した時、その嬉しさがきわめて大きなものになる。

 3、4日、そのことが心から離れず、幸せな気持ちで日々を送ったりする。
 そして、ひょんなことで、また落ち込む。
 人から受ける影響をきっかけに、その度に精神は浮き沈み、まるで振り回されてしまう。

 ── ところで、弱い自分についてなら、いくらでも書けると思っていた。
 どう見ても私は強い人間ではなく、ちょっとした事ですぐくよくよできる人間だから、これはとんでもなく長い連載になりそうだと思った。

 だが、いざフタを開け、箱の中をのぞいてみると、一体自分は何についてくよくよすることが、そんなに一杯あるように思えていたのか、よく分からないというのが実情であった。
 むしろ、よくガンバッてきたのではないか、との思いの方が、大きくなってしまった。

 これは、自分が弱いと痛感させられた、今までの事柄1つ1つをこまかく書こうとした時に「はて、どんな事があったんだろう」と、そんなに思い当たることがないように思えたことに起因している。

 それは書くにもあたらないような、そんな極小の些細事だったのか? いや、確かに私は、数え切れないくらい、何かをきっかけにして、その都度「自分は弱い」と絶望的な気分に陥っていたはずなのだ。

 しかし、そのきっかけが、まるで無かったように見えるのは、どうしたことだろう。

 思うに、自分で自分の弱さを育む時間が、そのきっかけよりも長かったのではないか。
 ひょんな事から私は傷ついたとして、それを弱いとし、「弱!」と名づけた鉢植えにせっせと水をやり、肥料までやって、「弱い私」という苗木を育てていたのではないか。
 そうして、そもそもの種子はどんどん土中に埋もれ、伸びた枝ぶりや葉ばかりに私の注意関心が向けられていたのではないか。もう、種子など、かたちもなく霧散してしまったのだ…。