(3)恋愛について #2

「好きになる/嫌いになるがあるね? それこそ、自分の内から出てくるものではないか?」
「ほう。うん、好き、嫌い、あるよ」

「でもきみはこう言うんだろう、
『ポテチや花や犬が好き、それもポテチや花や犬という外の対象があって、初めて好きと言えるのだ』と。
 その外がなかったら、『好き』という気持ちも芽生えない、と。
 … はたして、そうだろうか?
『この人が好き』、その人を好きになる心情には、もっと別のものがあるのではないか?

 味覚でその人を好きになるわけでもあるまい。
 視覚は… 多少はあるかもしれないが、それを見て美しいと感じるのは、当人に備わっていた美的感覚だ。
 犬や猫を可愛く思うのも、その人に生来あった、それを可愛いと感じる感性だろう?」

「とするなら、その通りだろうね。
 だが、なぜその人を好きになったのか、本人は知らないのだ。
 好みのタイプがあったとしても、なぜそれが自分の「好みのタイプ」であるのか、知らないのだ。
 自分のことであるのに。

 そして心は、好意や嫌悪、喜怒哀楽をつかさどっている。憂鬱になりたがったり、快楽に溺れたがったり、いつもピョンピョン飛び跳ねている。
 こいつはいつも、何かを探し、刺激を求め、外へばかり目を向けているヤンチャ坊主だよ。

 この心が自分のものだと、どうしてきみは言えるのかね。
 その心のために、きみは苦しんだり、眠れぬ夜を過ごしたり、よからぬことを考えたりさせられているんだぜ。
 心が自分のものであったなら、思い通りに動かせるはずだろう?」

「では、本能はどうだ。
 これこそ、外にない、自分の内から溢れ出る…
 ああ、でもきみはこう言うんだろう、
『それも心が探し、その対象を求めているのだ』と。

 では、性欲・食欲・睡眠欲は?
 ああ、きみはこう言いそうだな、『それは身体が要求するものだ』と。
『身体だって、自分のものではないのだ。だって自分のものなら、自分の思い通りに動くだろう』と。

 すると、自分とは何なのかね。
 きみはきみをきみだと思っている。
 おれはおれをおれだと思っている。
 名前なんかはただの便宜上の名称だ。
 身分証明証が自分自身であるはずもない。
 自分が自分だと思っている自分は何なのかね」

だよ。すなわち、だ。
 だからどんなにも変化するのだ。
 そして自分は1人だと意識するのは、周囲に2、3、4、5、と人の存在を「意識が意識した時」に始まってしまった。
 0のままならよかったのだが、それはいのちの始点であり終点でもある、方眼紙の中心のようなものだ。
 人間も宇宙と同じで、0の時代は終わり、複数の星々、個々の人々が紙の上に散りばめられた。

 心もその1つで、生きてあるものだから、独占、征服したがる悪玉菌もそこに含有している。
 ひどい宇宙人もいるんだよ、この宇宙をワガモノにしてやろうと目論んでいる…
 恋も、その一つだ。相手という宇宙をワタシのモノにしたがるんだよ。
 1を知った心は淋しさを感得し、それに操られた人間は1を2にしたい、2になりたいと望むようになる。
 望まされる、と言うべきかな」

「すると、人間は元々無であった。
 だが、2345…とクローンみたいに複数化したことによって、自分は1であることを知った。
 プラトンは、昔々人間は両性具有で、男と女は二人で一つだった。だから、たがいに求め合うのだと言っていたが…」

「それは有史以来の話だね。
 その前は、男女一体どころの話じゃない。
 鳥も虫も、植物も魚も、ぜんぶ一体だったんだよ。
 今日はここまでだ」