誠実とは、相手がいないと、ないようなものである、と考える。
「あの人は誠実だ」と判断されないと、まるで誠実さは、ないかのようである。自分ひとりだけでは、誠実、は、成り立たないかのようである。
だが、はたしてほんとうにそうだろうか。
自分に正直であること、これをなくしても、誠実は、ない、と思える。
自分に正直でない、自分を偽った、みかけだけの誠実── そんなの、全然誠実ではない。嘘だ。
どうも、「ほんとう」というものが、そこにはなければならないようだ。
その「ほんとうであること」が、誠実であるということだ。
だが、人と対する時── きっと演技をする。少なくとも、ひとり部屋の中で自分に対している時の自分ではない。相手が、いるからだ。自分以外の相手が。
すると相手に対して、自分をあらわすことになる。相手の反応、顔を見て、何やら話もしたりする。
自分が自分でいられなくなる── 自分ひとりで自分に対していた時の自分ではいられない。
相手がいるからだ。そして自分が、ひとりでいた時の自分と異なっていく。
この、自己と他者との間でゆらめく。
このとき、「誠実」は、相手と自分の間を彷徨っている。
空気中の、素粒子だ。
そして「誠実」についてなど、相手は何も考えていないとしたら、そして自分もその時、何も考えていないとしたら── ひとりで笑うべき話だ。