なぜ人は快楽の絶頂の時、苦悶の顔をするのか?
モンテーニュが「エセー」で疑問を呈していたが、これは全き謎である。
いくら考えても分からない。
痛いのでも苦しいのでもなく、どういうわけでもなく、そういう顔になるのだ。
この快楽が終わってしまう、その悲しみへの苦悶なのか。
ずっと続けることのできない、肉体へのジレンマ?
よもや、モッタイナイ精神ではないだろう。
男も女も、その絶頂の時、必ず苦悶の表情を浮かべる。
理性が破壊される瞬間だから?
いやいや、これはほんとうに分からない。
楽しい、のではないのだろう。ほんとに楽しければ、笑うだろうから。
愉快、ではない。
なんとも、肉体が… 顔も肉体だ、勝手にそう反応するらしい。
赤ちゃんができることへの恐怖? ないない、それはない。
何か相反するものが、その瞬間に起こっているのだろうけれども。
うん。わからん。
この、生まれてからずっと連れ添ってきた、自分の身体のことさえ!