「私は絶望の名人である。下駄の鼻緒が切れても死にたくなる。不安なことがなければ、不安になって、不安を探そうとしさえする」
生きる根拠が見つからず、新宿のゴールデン街で飲んだくれていた椎名麟三に、いたたまれなくなった坂口安吾が「エッセイを書くんですよ、椎名さん!」と声を掛けたという。
心、気持ちは、どこまでも形がないから、不安に捕らわれればどこまでも不安はひろがる。際限がない。そこに際限をつけてしまおう、というのが、言葉のひとつの役割かもしれない。
しかし「荘子」によれば、まことのものは言葉に表現されることはない。真実、真理は、限定を受けないものあるのに、言葉は限定的かつ相対的なものであるから、「これが真実だ」と言った途端に「それは嘘だ」が生じてしまう。不安、漠然とした不安が、真実をすでに失っていることに起因するとしたら、言葉にしようとすることでますます混迷、惑いに惑いを重ねることになる。
「人生はとてもつらい」とチャーリー・ブラウンは言い、「時は、どこへ向かっているんだろう?」と、口を波にして嘆いた。このスヌーピーの飼い主や、太宰治の晩年の男らしい弱々しさには、読んでいて共感せざるを得なかった。自分のつらさ、弱さが、そこに体現されている本を好んで読んだのも、「自分は独りでない」共感を、そこに見い出したいがためだった。椎名麟三も、そこからもれない。
ところで、私は、「あなたは独りでない」と、わざとらしく訴えるような文章が好きでない。ヤラセで、甘い気配がするからだ。それより、自分の内面に向かい、自分の意思ではどうにもならないようなところから発信される言葉に、私は強く共感する。その筆者の世界へ「飛び込める」自由を、与えられる気がするからだと思う。
だが、今ここに書いている自分を突然かえりみれば、「あなたは独りではない」と読者に訴えたいとする自分を強く見い出す。これは私の心に、邪なものがあるからだと思う。多くの人に読まれたいとか、自殺を考えている人へ、和む気持ちを運びたいとか、下心が見え隠れする。
実直で素直な、正直な、率直な言葉が、最も真に近く、人の心に響く言葉だと思っているのに、自分はまるで逆のことをしている気になる。純粋な心が、人の心をつかむのだから、私の汚れた心では、読まれなくても当然かと思う。
が、続けていこう。椎名麟三のこと。
この作家は、「荘子」が言葉による表現を「ムダムダムダ!」としていたのに対し、「言葉は愛だ」と言い切っている。真実は言葉に表現できない、しかし、できないからこそ、それに挑んだ、実は前向きな作家だった。
椎名さんは、「社会が変われば、自分は自殺しなくて済む」と考えていた。不可能であると分かっていても、だから可能にしたいという、弱いからこそ強いような、本人にもどうしようもないようなパッションが、最後の最後には必ず心に宿っていた。温厚で、苦労人らしく、いつもニコニコして愛想のいい写真が多いが、椎名さんの内部、その閉められた箱の最後には、必ず希望が、出所不明のこだわりと共に必ず残っていたと思う。それだけのこだわり、「社会」に対する、自分に対するこだわりがある以上、「絶望の名人」になることも必定だった。
「ほんとう」というものに、ほんとうにこだわった人だった。ひとつ小説を書けば、もう書けない、と、すぐに絶望した。椎名さんも、やはり真実に向かっていた人だったと思う。
優しさとか、誠実さは、ナイーブな神経がなければ生まれないこと、小心者が社会を変えていくのがほんとうであることを、私は椎名さんの小説とエッセイから感じ取った。
生きる以上、幻想は必要だったにせよ、私にとっては椎名麟三という、いつ自殺してもおかしくないような人が生きた、自殺せずに最後まで生きた、この事実が強大な希望になっている。それに、たくさんの小説とエッセイを書いてくれた。
社会に対して、訴えたいことがある。と同時に、文章で何か発信する自分自身に対しても、自己解体するように、自己の内へ内へと向かった人だった。
「助けてくれ!」と叫ぶことができること。それが文学だ。椎名さんの碑文のある、姫路の書写山には、「愛は言葉である」と刻まれているらしい。