福は、なぜ彼女に、そんなことばかりするようになったのか?
まったく、想像するしかない。
きっと福は、彼女のことが大好きだったのだと想う。
そしてもちろん彼女も、福のことをそんな嫌いではなかったと思う。
福が、彼女に対して何もしなければ、彼女も福を「可愛い」と言っていたからだ。
しかしふたりの、お互いへの好意が交叉することなく、スレ違っていたように思う。
福の、彼女への恋慕。
愛するあまり、彼女に求める愛が強すぎたようにも思う。
そして彼女は、その福の心を知っていながら、福の要求を満たすことができずにいたことも、確かであっただろう。
彼女も、福も、自我という、自分でもどうにもならぬものを抱えていた。
その自我を、両者ともに、そのままの自分として、相手に対していた。
自分に正直であるところから始まる、ウソ偽りの一切ない、真実の関係だった、とも思える。
そして一つ屋根の下、何だかんだと、決定的な決裂をするでなく、一緒に暮らし続けていたということ──
これは、この世に生きとし生けるものの、理想的な関係の姿のように見えた。
考え方や性格の違う、異質な者どうしでも、平和な世界を築き得るという、大いなる証例を見ているように私には思えた。
ふたりが幸せであったかどうかは、分からない。
ただ私は、ふたりの関係を見ていて、楽しかった。
それはそれとして、なぜ福は彼女にあれほどのアタックして、私にはしてこなかったのか。
その心情に想像の翼を広げたい。
われわれの日常を顧みる。ここに、福の一連の彼女への行動の原因があるだろうからだ。
まず、福と私の関係の仕方── 私が仕事から帰宅すると、福は「ニャッ」と言いながら歩いてくる。
そして玄関マットの上にドタッと横たわる。
仰向けになって、あごを無防備にこちらに見せ、「ここ、撫でて」と言ってくる。
私は喜んで、「ただいま、福~。いい日だった? 今日はいい日だったかな~? 福はいい子だから、いい日だったよねえ。よかったねえ、よかったね~」と言い、撫でる。
それから風呂に向かう。福もついて来る。私は湯船のフタを半分たたんで、のせておく。
すると福はフタの上に飛び乗って、おすわりをして、お湯の動きを眺めている。
湯に浸かる私の顔も、じっと見つめてきたりする。
私は笑わざるを得なくなって、福に言う。「よかったねえ、福。よかったねえ」
風呂から上がると、私はダイニングにあるパソコンに向かい、ブログを書き始める。
福は背伸びして、椅子に座る私の後ろから、肩をチョイチョイしてくる。
私は立ち上がり、椅子を譲る。福はびょーんと飛び乗って、まるまり、眠る態勢に入る。
福がまるまった椅子を、静かに横へ移動させ、私は固くて小さい丸椅子に座り、パソコンに向かう。
福が後ろ足で耳を掻いているのを見れば、「ここ、かゆいの?」と私が代わりに掻いてあげる。
福が座椅子の上で日向ぼっこしていると、陽が傾き、福の身体に陽が当たらなくなってくる。
私はその都度、陽の当たる方へ、福の乗った座椅子を慎重に移動させたりした。
だが、家人には、福に対するそのような姿勢がなかったのだ。