(5)身体に埋め込まれた装置そのもののように

 僕は大学を中退し、貯水槽の清掃というバイトを毎日やり始めた。
 親方と二人で現場を回る、その行き帰りの車の中で、「また負けたの? もうやめたら、パチンコは。競馬がいいぞ」と競馬をすすめられた。

 他の親方も、よくギャンブルをしていそうだった。
 現場仕事に従事する肉体労働者は、ギャンブル好きの人が多いような気がする。
 その仕事と、その嗜好の共通点は、「今・目の前のこと・目先のことをどうするか」にあるように思えた。

 僕は23歳になっていた。好きな女の子と結婚し、子どもも産まれた。正確には、子どもができたので結婚した。
 31で離婚し、出会い系で知り合った女性と同棲生活を送り、40で彼女と別れ、別の女性と一緒に暮らして8年ほどが経っている。

 そして、いつの時もパチンコをしてきた。していない時期もあったが、ほとんどしてきたと胸を張って言える。

「暑い」と言ってはパチンコ屋に行き、無職の時は、部屋にいるのが気づまりで行き、何かムシャクシャした時に行き、仲睦まじい生活が続くと、幸せが怖くなって行った。
 何かと理由をつけて行ったのだが、

〈 理由は後からつけるもの。〉

 結局、ただ、行きたかったのだ。このために、この数十年間で数千万円を失ったが、それで死ぬほど後悔しているかといえば…微妙なところだ。

 パチンコ屋があったから、僕は生きてこれたようにも思える。実際、あの世界に身を置く時間が多かったのだから、そう思うしかないだろう、とも思う。

 もちろん、店がなければ行きようもなかった。
 何にしても、僕が僕であるためにこうなった以外に、事実はないだろう。
 僕が選んであの場所に行き、僕が選んで金を失ってきたのだ。

 この頭の中には、いつもあの場所があって、離れることがない。
 今現在、こうして書いている間にも、身体がパチンコを求めている。
 いや、頭かな。
 しかし頭は、そして胸の内のどこかでは、「もう、やだよ」と拒否をしていないでもないのだが。

〈きみはそこに行くだろう。きみはそこに行かないだろう。きみは行くか行かないかのどちらかだが、どちらを選んでもきみは後悔するだろう〉

 思わぬ臨時収入、つまり大当たりを得た時、帰りのスーパーでビールなどを買う時、まったく悪い気はしなかった。
 だが、ついこないだ、半月かかって運良く儲けた20万を、ほんの2日で失くしているのだ。

〈 私は永遠に繰り返す 〉

 そう、あんな場所には行かぬが良いのだ。分かっているのに、分かっていない。

〈悟りは、燈明。暗闇の中にしか、あかりは見えない〉

 いくら、インドの偉いお坊さんがそう言ったところで…。