(11)書く理由 1

 ところで、なぜ僕はこんな手記を書き始めたのか?

〈 人は思考する時、すでに言語化し、明瞭に、論理的に物事を捉えようとしている 〉

 これを、具体化したいためである。要するに、頭の中を、言語化しかったのだ。また、

〈 人間が一番関心のある対象── 自分自身 〉

 のためである。

 ならば、ひとりでやっていればいい。いちいち、誰かに読んでもらおうなどと思わず、ひとりで書いていればいい。
 ただ、このパチンコを介して、人生の半分以上をあの場所に時間を費やして来た人間として、自分を見つめ、どうしてこうなったのかというところを、他者の眼を意識することで、より客観的に、みつめていきたい、とも思ったのだ。

 なぜパチンコにこんなにノメリ込んだのか、僕は僕自身を知りたい。
 病気だ、依存症だとするのは、あまりに簡単すぎる。安易すぎる!

 僕は、我慢強くない子どもだった。自分の思い通りにならないと、すぐ癇癪を起こした。
 ガラス戸を割り、柱に縛りつけられても、我を通そうとして泣き喚く、どうしようもない子どもだった。

 この性質は、今も変わらない。
 職場で、誰か1人、気に入らぬ人間がいると、もうこの世のすべてが終わったかのように思い、退職してしまう。
 イヤなことを、絶対的にイヤだとしてしまうのだ。

 母には、鬱病の気質があった。それには原因がある。僕の産まれる前年に、長兄を17歳で亡くしているのだ。
 毎日泣いていた母の胎内で、僕が育ったことが、僕のおかしな性格をつくったのではないか、と父は考えていた。
 少なくとも、良い影響は与えなかっただろう、と。

 でも、僕としては、誰のせいでも、何のせいでもなく、僕は僕の運命として僕であったのだと思っている。
 長兄の「生まれ代わり」のように産まれた僕を、だいじに、だから「過保護に」育てようとした親を、誰が止めることができただろう?

 それに、… 僕は、うまれた時から僕であったのだ。どのような運命を辿ろうと、どんな過去未来であろうと、それが僕なのだ。

 もう少し、この自分について書けば、人前で物を食べるのが恥ずかしく、学校の給食が大嫌いな子どもだった。
 担任教師が、「残してもいい」と特別許可をくれても、周りの人たちと違った扱いを受けることが苦しくなって、よけいイヤになった。

〈 どんな美男美女も、物を口に入れ、咀嚼し始めれば、おかしな顔になる 〉

 僕は美男ではないが、人前で、しかも学校の教室で40人もの者たちと一緒に、もぐもぐやるのは、耐えられなかった。
 下品だと思った。食べたくなかった。
 僕の知り得る限り、祖父は真面目な役人で、曾祖父は医者であったという。こんな話を持ち出すのも、よく心理分析者が、「あなたの家系は?」と訊いてくるからである…。