(14)病を疑う 2

〈 狩猟の快感は
  思わぬ、予期せぬ所から獲物が飛び出してきて
  意表を突かれながらそれを仕留めた瞬間である。
  一度、この味わいを覚えた者が
  その魅惑、魔力から脱するのは難しい 〉

 続けよう。
 一般庶民でも知っている「海物語」を最初に打ち始めた頃、一度外れ図柄で停止した後、いきなりゾワゾワゾワという音とともに再始動し、大当たりになる演出が僕は大好きだった。

 驚きと喜びの交叉する瞬間… そして、外れても、この「再始動」によって当たる可能性があるのだ、と、どこまでも希望を引き伸ばせることができた。

 パチンコで楽しい思いも、僕はいっぱいしてきたと思う。何も、悪いことばかりではなかったはずだ。
 ただ、それによって妻や、その後一緒に暮らしてくれた恋人に、ひどい思いを被らせてしまったことだけが悔やまれる。(現在の恋人にも、だ)

 だが、しかしこの小文を書き始めてから、あのギャンブル場に行かなくなっている、ということも書き足しておきたい。
 行きたい思いは、たえずあるが、その思いだけで十分満たされている感がある。
 you tubeの「ごみくずニートの人生」や「むるおか君」「あすぴよ」などを見たりして、ああ変わらないなあ、やってるなあ、と、懐かしくさえ思う。

 もう数年前の過日、「CRリング」(これも大ヒットしたパチンコ台なのだが)のシマから歩いて来て、店の外へ行こうとした若い女の子とすれ違った。

 彼女の背中は、ほんとうに泣いていた! 彼女が去って、満席の中に1つだけ空いたその台は、700ぐらい回っていて、一度も当たっていなかった。

「海物語」のシマにも、600だの800だの、不気味な数字が並び、そして当たり回数は「0」や1、2回! パチンコの恐ろしさを実感させられた(それでも、僕は打ったのだが)。

 怖い。
 むかし、1970年代にあった「エクソシスト」というホラー映画。その上映をする映画館では、来場者に「嘔吐用の袋」が配られたという。

 僕の行くパチンコ屋のトイレには、「ご気分の悪くなったお客様は、従業員にお申し出ください」と貼り紙がある。
 また、「パチンコ依存症は病気です。ひとりで悩まず、こちらにご相談を」と、連絡先まで書かれたポスターまで、ご丁寧に貼ってくれている…