(a)虫

 アリジゴクという生き物、あれは、後ろ向きにしか歩けない虫だそうですね。

 砂の上で円形に後ずさりしながら、口で小石などを、つかんでは放り投げ、つかんでは放り投げして、クレーター状の穴をつくっていく。
 そして、穴の最底辺に、じっと動かずにいて、通りすがりのアリが落ちて来るのを待つ。

 わたしの前世、アリジゴクでした。
 アリの通り道とは程遠い、とんちんかんな場所に、せっせと穴掘り汗水たらし、やっとつくったマイホーム。待つだけ待って、時間だけ悪戯に過ぎて、ひからびて死にました。

 獲物が落ちて来易いように、自分の世界、広げたつもりでした。
 でも、動いて、働けば働くほど、自分自身が穴に深く落ちて行っただけでした。

 わたし、思いました。もう、動かない方がいい。何も、しないでいよう。
 これを自分の運命と決めました。

 わたしは無為を完遂しました。
 これは、われわれ種族に、元来備わっている性能です。
 だって、前へ進めないから、何もしないでいることしかできないんですもの。

 そこに穴を掘ったら、もう終わりなんです。
 わたし、神様に祈りました。今度うまれてくる時は、前へ進めるようにして下さい。
 一度、間違ったからって、もうやり直しがきかないなんて、あんまりです。

 そうして、ゆっくり意識が遠のいていったのを、覚えています。

 思えば、あれがわたしの最初の記憶でした。
 穴の中にいて、何もしないということ。できないということ。
 わたしの種族は、ウスバカゲロウの幼虫で、しっかり成長し、羽ばたいて行く姿も、見たことがあります。

 人間界では、わたしのような生き物を「引きこもり」というらしく、今、この国で100万人いるといわれています。
 心強い味方です。現世で、わたしもヒトに生まれていればよかった。

 自分の穴の中で、死ねたこと、そんな後悔はしていません。
 一生懸命、何もしないでいましたから。

 そりゃ考えましたよ、自分はこれからどうなるのかと。
 不安で、眠れない夜も過ごしましたよ。

 でもね、死という最上の安楽を得られて、そのいまわのきわになっても、わたし、取り乱したり、あわてふためきもしませんでした。

 われながら、りっぱな最期だったと思います。
 人間は、どうして死を忌み嫌うのかしらね。

 インドの偉いお坊さんも、「死は、無い」とおっしゃっていたそうです。
 今ある肉体は、一夜の宿のごときもので、魂、生命というものは、永遠に姿を変えて存在する、と。

 ただし、善き行ないをしないと、その後イイところに宿ることができないとか。
 わたしは、何もしませんでしたので、これは善いことだったのか、悪いことだったのか。
 わたしには判断することができません。

 次に生まれた時、わたし、木の上にいたんです。そんなに、驚きはなかったですね。
 あ、ここにいるんだと思いました。
 木の上で、わたし、やっぱりジッとして、何かを待っていました。

 ヒトが通り過ぎる、その瞬間を待っているようでした。
 鍬を担いだ老人が通り過ぎた時、わたしの身体が本能的に動きましたから。
 それまで、何のためにここにいるのか、知りませんでした。

 わたしは木の上の、枝の端っこにサササと動いて、よし、飛び掛かろう… 実際は、落ちるだけなのですが… その瞬間、足がもつれて失敗しました。

 しくじりましたが、この失敗、なぜだか、とても嬉しかった。
 やった! 失敗できた!と思ったのです。

 体勢を整えて、またヒトが、わたしの下を通るのを、じっと待ちます。
 どれだけ待ったか、知れません。

 今度来たのは、髪を左右に編んだ、おさげの女の子でした。
 わたしは、思いっきり、彼女の頭上目掛けて、落ちました。

 そうして、中に潜り込み、かきわけて、つるつるしたところに到達したのです。
 すると、わたしは吸血を始めました。
 身体が、勝手に動いていました。

 至福の瞬間でした。
 わたしはうっとりして、ほとんど恍惚の状態で血を吸い吸い、へばりついていました。
 ですが、その一瞬後、何か鋭利なものでわたしは剥がされ、地面に叩きつけられ、文字通り虫の息になっていたのです。