(b)声

 他にヒトはいなかったから、たぶんわたし、彼女に殺されたのだと思います。
 苦しかったけれど、ああ、あの娘に殺されるなら、いいや、と思ったような、思わなかったような。

 ただ、あ、もう死ぬんだという感じは、覚えています。
 きっと、前にも死んだことがあったのだと思います。

 でも、またどうして死ななければならないのか。
 ぼんやり、そんなことを考えていたら、死にました。

 生きていた意味も、死ぬ理由が分かれば、分かりそうな気がしました。
 でも、わたしにはさっぱり分かりませんでした。
 いえ、死ぬ間際になって、初めてそんなことを、真剣に考えたように思います。

 ─── 気がつくと、いつもわたし、いました。
 リンリン、他にも、鳴く声が聞こえました。

 仲間だ、こんなにいっぱい仲間がいる!
 なのに、どうしてわたしはひとりなんだろう。
 
 ああ、みんな、ひとりひとりなんだ。
 ひとりひとりが、みんななんだ。
 でも、それじゃ、わたしはひとりじゃなくなってしまう。

 わたしはここにいるのに。
 どうして、わたしは淋しくなっているんだろう。

 羽を震わせて、一生懸命鳴きました。
 親に教わった覚えもありませんが、わたし、そうしていたんです。
 ああ、誰もそばに来てくれない。

 ひとりで必死に鳴いて、ばかみたいだ。
 身体のどこかで、そう考えていたら、
「どうもしなさんな」
 声が聞こえました。

「そのために、穴に落ちた。そのために、木に止まった。何をしても、何もしなくても、死ぬということを知ったね?」

「あなたはどなた?」
 わたしが尋ねる。
「お前は誰か」
 声が、反問した。

「わたし? わたしは、虫でした。今は、よくわかりません。初めてなんです、こうやって鳴き続けているの」

 ふぉっふぉっと声が静かに笑った。

「あの、わたしは誰ですか?」
 もう一度、声のするほうへ身をよじって、上を向いた。
 真っ暗で何も見えない。

 下を見ると、向こうから、何か動くものが、こっちに来る。
 わたしは逃げようとしたけれど、強い力で挟まれた。
 わたしは暗い空間に包まれた。

「あれはね、とんでもないイカサマ師ですよ」
 また、声がする。

「あれはね、もう、ぜんぶ、生きちゃったヤツなんです。
 ミミズからオケラから、ミトコンドリアから魚、鳥、蝶、小石、果ては風…
 一生かかっても言い切れません。
 この地球が生まれてからだから、あいつ、もしかして地球なのかもしれん。

 とにかくね、この世にある、あるとあるものに生まれ変わって、ぜんぶ生きちゃったヤツなんですよ。
 信じられます? 一生を…いや、多生かな、ほんとに生きちゃったヤツなんですよ!

 大抵のモノは、途中で挫折するもんです。
 でもヤツは、なんだ、頑張りやがって、ほんとに生きちまった。
 そうするとね、『すべてと同化できて、すべてと一体になれる』などと抜かしやがるんですよ。
 嘘ですよね、そんなの。ああ、嘘だ嘘だ、嘘に決まってる、そう決めた」

 よく喋る。

「あたしゃね、とことん拒みましたよ。
 あいつぁ、『よい機会じゃぞ』って言うんだけど、どんなに生まれ変わったって、苦しいだけでさあ。
 何回、自殺したことか。それでも、また生まれちまうんだ。
 何も変わりゃしない。せっかく、あんなに死んだのに。

 ヤツが言うにゃあ、心がこの世でいちばん大事なんですってよ。
 HA! なにクサイこと言ってんだか。
 生まれ変わりを繰り返すのは、この世のあらゆるものになって、その心を知るためなんですってよ。

 トンだ大嘘つき野郎ですわ。胡散臭すぎる。ペテンすぎるよ。
 で、あたしゃ、すっかりヤツに刃向かうことに決めたんですよ。
 そしたらね、あんた、あの野郎、微笑みやがってね、ふぉっふぉっふぉっふぉっ、嘲るように笑いやがってね…」

 わたしは、耳をふさぎました。頭がおかしくなりそうだったから。
 すると、声も聞こえなくなって、真っ暗闇の中に、吸い込まれていくのが分かりました。

 何か、白い光のようなものも見えて、そこへ、わたしから行ったのか、そこに、わたしが吸い込まれたのか…