斉物論篇(二)

 そこで子游は、「どうか、その三つの音声についての道理を、お聞かせ願いたいと存じます」と言った。

 子綦は、これに応えて言った。

「大地に吹く息を、名づけて風という。この風が起こっていない時は、何事もないけれども、ひとたび起これば、地上のすべての穴が怒りの声を発する。

 お前も、あの大風の、ひゅうひゅうという唸り声を聞いたことがあるだろう。

 風にざわめきたつ山林のうち、百抱えもある大木には、無数の洞穴がある。その穴の形も、鼻に似たもの、口に似たもの、耳に似たもの、枡形に似たもの、杯に似たもの、臼に似たもの、くぼみに似たもの、溝に似たもの、さまざまだ。

 その発する音も、激流の響きのようなもの、矢のうなりを立てるもの、叱りつける声に似たもの、息を吸うのに似たもの、叫び声を思わせるもの、泣きわめくもの、深く微かなもの、哀切の響きをもつもの、さまざまである。

 先立つものが『えい』と呼べば、これに続くものが『おう』とこたえる。

 そよ風が吹けば、穴もこれにやさしくこたえ、疾風が吹けば、穴も大声でこたえる。

 やがて激しい風が通りすぎると、すべての洞穴は、ひっそり静まりかえる。

 そのあとには、ただ木々の枝が、音もなく揺らぎ、ひらひらとするのを見るだろう」

 ── これまた、どうということのない、何でもないような文面にも見える。

「地の声、天の声を聞いたことがあるか」という、その声に耳を澄ます── ぼくの小さな日常で、夜に近所の犬が鳴き、いちいちそんなことでイライラ目覚める時がある。でも、そんなことで心惑わさず、天の声地の声に心の耳を澄まし、その大いなる声に身をもたれ、この心身、任せよう。そんな気にもさせられる。

 大いなるもの。でもその大きさの中にいれば、何とも微細な、霊妙で微妙な、繊細な糸にも包まれる思いがする。その糸はとても自然で、やさしいものに感じられる。

 その成れの果ては、要するに、死ではないか。今ぼくは生きているけれども、どうしたところで死ぬ。それまでの生の中に今いるかのようだ。でも、この生、生きながらにして、あの糸の中、繊細で微妙な、大いなるものに包まれることもできる。

 死してあの世に行くまでもない。生きながらも、あっちの世界にいることができる。

 生と死は同列だ。同じ時間、同じ存在、同じ世界に、死者とともに生者が、生者とともに死した者が… いや、生も死も、ひょっとしたら、無いのかもしれない。