子産も負けていない。
「きみはそんなひどい姿をしながら、堯のような有徳者と善行を争うつもりかね。一度自分の徳の高さを計ってみて、自分の身のほどを反省してみたらどうかね」
すると、申徒嘉は答えた。
「世の中には、自分の過失をいろいろと弁解して、足をなくすような刑には相当しないと主張する者は多いが、自分の過失を弁解しないで、足を切らずに残しておくのはよくないと思う者は少ない。私は、あとの例だ。
いったん人力ではどうすることもできないことだと悟れば、その運命のままに安んじて従うということは、ただ有徳者だけにできることだ。
たとえば、弓の名人である羿の射程の範囲内で遊んでいるとしよう。そのまんなかにいれば、命中するのが当たり前だ。それなのに命中しないこともあるのは、その人の運命によるものだ。
世の人のうちは、自分の足が完全なままであるので、私の足の不具を笑う者が多い。彼らは、それが運命の偶然によることを知らないのだ。
笑われて私も腹が立ってたまらないが、先生のところへうかがうと、すっかり忘れて、平静になることができる。先生の善徳が、私の心のけがれを洗いおとしてくださるのかもれない。
私は先生のもとで学ぶようになってから十九年にもなるが、一度だって私が足のない不具者であることを気にしたことがない。
今、あなたと私とは、身体の内にある心の世界で交際しているはずなのに、あなたは私を身体の外に現われた形に求めようとされる。おかしなことではないか」
すると子産もすっかり恐れ入り、態度をあらためて言った。「もうこれ以上は、何も言わないでくれ」
── よく、「師」「先生」というものが登場するが、その実体は不明瞭なままである。不具者であったり、何も語らぬ人、何もせぬ、ほぼ無為のような人が、その姿として表されていると思う。それは、荘子が「自然」を師とし、それに従っていたからのように見える。モンテーニュが自然と運命を同義語に扱ったように、荘子の書に見える「運命」という言葉も、「自然」と同義であったと思われる。
全く、それには従うほかないのだ。運命随順。無為自然。だれもが有徳者であるだろう、コンクリートだって、瓦にだって、ろくろにだって電柱にだって徳がある。その徳を、正しく用いる… 正しい、まちがいは人為による分別だとしても、そこはソクラテス的態度で貫けるものと思う。
このお話にある申徒嘉と子産の関係、日常の仕事場なんかによくあった。「こいつは仕事ができない（よくミスをする等で）と上司から判断され、またまわりもそのように彼を見、でも当人は特に反省もせず気にもしていない、という場合、その人と、ちょっと距離を置こう、などとしたものだった。
一緒にいると、彼と「同類」に見られるのがいやだったからだ。逆に、「よく仕事のできる人」「有能」と周囲から認められている人と一緒にいると、何だか嬉しく感じられた。もちろん、人柄というのが大きい。
あなたとは心で交際しているのに、という申徒嘉の告白が愛おしい。
しかし当世、現代の文字、言葉だけの、たとえばSNSなどの「文字だけの関係」は、何とも難しい。会って話すのとは大違いだ。人と人との関係は、文字だけでは… しかも字体、字面、行間の長短も定められた空間では、どうにも難しい。手紙とも全然違う。自分の筆力の限界、拙さでもあるんだけれど。