大宗師篇(十五)

 顔回がんかいが、師の孔子に尋ねた。

孟孫才もうそんさいという人は、その母が死んだ時、泣き悲しむ礼の儀式を行なう時に、涙を流すことがなく、また心から悲しむこともなく、喪に服している間も哀悼の情が見られませんでした。

 この三つの大切なことが欠けているのに、彼は母の喪によく服したことで魯国ろこく第一だという評判を得ております。思うに、彼はその実がないのに、その名だけを得たものではありますまいか。私には全く不思議に思われてなりません」

 すると、孔子は答えた。

「いや、孟孫氏は実によく喪に服したのだよ。なまじ喪礼そうれいを知っている者よりも、はるかに立派にやったのだ。喪礼を簡略にすることは、しようと思ってもできないのがふつうだが、彼はこれをやり遂げたのだよ。

 もともと孟孫氏は、なぜ生きるのか、なぜ死ななければならないのかといった問題を超越しており、生と死の、いずれが先になるか後になるかということにも、心をわずらわすことがない。

 ただひたすら造化のなすがままに従って、この世に生を受け、さらに訪れるであろう未知の変化を、静かに待つだけである。

 考えてみれば、自分ではこれが変化だと思い込んでいることが、実は少しも変化していないことであったり、まだ変化していないと信じていることが、実はすでに変化してしまっていることだってあるのだ。

 このような話をしている私だって、お前と一緒に夢を見ていて、その夢からさめていないのかもしれない。

 それに孟孫氏は、死の訪れによって、自分の身に驚きをおぼえることはあっても、自分の心をそこなうことはない。死を転宅ぐらいにしか思わないのであるから、死を絶対的な終わりと見ることもない。孟孫氏は、ただひとり目覚めた人間だ。

 ただ世間の人が泣き悲しむ礼の儀式を行なうので、つきあいのために泣き悲しむ儀式を行なったまでだ。だから自然に、あのような結果になったのだよ。

 また考えてみれば、自分を失いたくないというのは人情だが、その自分というのは、めいめいが勝手につくりあげた観念を自分といっているにすぎない。

 その自分といっているのは、勝手につくりあげた観念であり、はたして実在するかどうか分からないものだ。

 お前も夢の中で鳥になって天にのぼったり、魚になってふちに沈んだことがあるだろう。とするならば、今しゃべっているお前も、はたして目がさめているのか、まだ夢を見ているのか、あやしいものだ。

 つねに楽しい境地にある者は、笑うひまもないものだ。反対に、特定のことだけを楽しいとして笑う者は、すべてを推移のままにゆだねることができないものだ。

 すべてを推移のままにまかせてこれに安んじ、無限の変化のままに従ってゆくならば、やがて静寂の支配する天一の世界── 自然のままで差別なく、すべてが一つである世界に入ることができるであろう」

 ── これも、どこかで見たような内容。

 天一の世界から連想するに、神奈川は伊豆の方に、三ツ石とかいう所があった。詳しく覚えていないが、海の中に三つの石が浮かんでいる?のだったか… 正確な記憶ではない。ただ、あの時、「空と海、一緒だ」と思った。

 雨あがりで、でも空は青一色、そして海も青一色。水平線と空の境界が交じり合って、どこからが空でどこまでが海なのか分からなかった。で、ああ、空も海も同じだ、と初めてそのことを目の当たりにした。まだ「荘子」は読んでいなかったが…。

 この世もあの世もない、そんな気になったのは、ブッダに関する本を読み重ねるうちだったか。特にそんな字句はなかったが、何だか大きな気持ちになったものだ。荘子に書かれていることとブッダの説いたこと、かなり接点があるように思えるので、頭の中で一緒くたになっているのかもしれない。

 ブッダも、生贄を捧げるとか、当時の儀礼、習わしだったアニミズム的なものは否定した。リアリストであったかれは、こんなもので人の苦しみはなくならない、とでも考えたのか、とにかく非論理的なもので人の苦はなくならない、というふうであった。

 ブッダは確かに仏教という、宗教のカテゴリーに含まれるが、その根本思想のようなものは、「自分でどうにかしなさい」だったと思う。こちらは、その手助けしかできません。最終的には、自分なんですよ。わたしはただ真理、(荘子でいうところの)まことの道、まことの理を説くことしかできません。よく自分で考えて、こっちに来るかどうか、決めればいいですよ。

 そんな大らかさ、大きさがブッダの「持ち物」であり、荘子の説く「徳」、生まれもって備わっている人間の心の働きにはたらきかける、「気づき」のきっかけ、自己のうちに目覚める、ということに繋がるものだったかと思う。

 人の死に際する儀礼について、荘子は幾度となく形だけの礼へ反発するように書いているが、人の誕生についてはどうだろう。

 自分の場合、子どもの誕生── それはびっくりしたものだった。(完全想定外のことでもなかったが)

 その時、つまり妊娠が判明した時、知らない責任感のようなもの、将来、未来への重みのようなものがどっと押し寄せ、身がくるまる思いがしたが、その一瞬後、「これはめでたいとしなければ」、「これはめでたいことなんだ」とする気持ちがそれを上回るように発生した。

 彼女はまだ18歳であったから、かなり不安だったろうと思う。ぼくも給料はよかったが身分はアルバイトで、何か不安になった。

 だが、そんなことより、そんなことより、何しろ子どもができたのだ! これをめでたいとしないでどうするんだ、とにかく、めでたいんだ、めでたい以外に何がある、という気持ち、これしかないという気持ちになった。

 まったく、それしかなかった。

 が、何かそこに、義務のような、葬式の際の礼節ではないが、「~でなければいけない」、そんな「義務」? の気持ちのようなものが、瞬間的に働いた気がしないでもなかった。

 いや、働いていたと思う。どうしてか、あんな気持ちが一瞬でも働き、それからその気持ちが絶対的のように思えてならなくなった。

 生命の誕生は、喜ぶべきもの? べき? ナンジャソリャ、という気にもなる。ひょっとしたら礼節、儀礼…形式、形、みたいなものが、心の中にも知らず知らずのうちに入り込んでいて、その形式通りに、鋳型通りに、自分の心が運ばれたのか… 自分で当てはめるようにそこへ運んだのか…

 孔子の重んじた儀礼、形式は、求められて出来上がり、なくなっては困るものだから、永遠のようにあり続ける、そんな気もする。