内向的復讐感情。
復讐や嫉妬、憎悪や怨恨は、その対象に向けられて、初めて形になるものだが…
内向的復讐感情、これは、どこまでも内へ向かうのではないか? 外に向かう前に。
私は、ある婦人のことを思い出す。
彼女は、出勤する夫の弁当に、彼の大嫌いなピーマンを毎日入れ続けたというのだった。
そして彼は、その妻の悪意に気づかなかった!
だが、それは毎日、ひっそりと、弁当箱の片隅に、常に置かれてあったのだ。
「健康のために」と彼女は微笑んで言った。女らしい、しとやかな女性である。
彼女自身、自分の悪意に、気づいていない様子だった。
ほんとに健康のために、彼女はピーマンを入れ続けたのかもしれない。
でも、何もわざわざ彼の嫌いなものを、執拗に入れることは、しなくてもいいだろうと私には思えた。
そして夫君は、お弁当に対して何の苦情もいわなかった。
彼女は、夫を愛していた。夫も、彼女を愛していた。
このことは、ふたりにとって、地球が自転するほど当然すぎることだった。
彼女は行ってらっしゃいを言い、お帰りなさいを言い、朝な夕なにご飯をつくり、掃除洗濯も毎日やった。
それは「独り身だったら、こんな熱心にしない」と彼女自身に思えるほどの熱心さだった。
「大変じゃなかったですか」私は聞いた。
「いいえぇ、全然」彼女は笑って言った、「まあ、でも、よくやってきたんでしょうねえ」
そうして、「おかげさまでしたわ」横に座る夫君に、少し頭を下げながら、愛らしい目を注いだ。
「う、ううん…」夫君は、曖昧な返事を返した。
だが私は、毎日彼女が必ず弁当に入れていたというピーマンのことが気になって仕方なかった。
それが彼女の、復讐のように思えたからだ。
それが、何のためのものだったか、私には分からない。
人間には復讐感情がある── 内向的復讐感情が。