(4)実存するということ

「私に欠けているのは、私は何をすべきか、ということについて私自身に決心がつかないでいることなのだ。
 それは私が何を認識すべきかということではない。私の使命を理解することが問題なのだ。
 神(自分の内部に在る自己自身)は本当に私に何を為すことを欲したもうかを知ることが重要なのだ。
 いわゆる客観的真理などを探し出してみたところで、それが私に何の役に立つだろう。

 どんな生きる意味を説明できたところで、この世のあらゆる現象を解明できたところで、それが私自身と私の生活にとって何の意味も持たないとしたら、それが私に何の役に立つだろう。
 論文でひとつの世界を構成し得たところで、私がその世界に生きるわけでなく、ただ他人の供覧に呈するにすぎないのでは、私にとって何の役に立とう?
 人は、他の何ものを知るより先に、自己みずからを知ることを学ばなくてはならぬ。
 まず内面的に、自己みずからを理解し、その上で自己の歩みと辿り行く道を知った時、そこで初めて人間の生活は安息と意義を得るのである…」

 きみはぶつぶつこう言って、きみ自身の湧水を求めて穴を掘り始めたね。
 そしてその水を一般人が飲むようになるまで、一世紀ほどの時間がかかった。いや、わたしにはまだ完全に飲めそうにない。きみの井戸から流れ出た水を追っているにすぎない。その流れが、わたしには心地良い。
 きみは、主体的であろうとし続ける。客観をなるべく捨てて、その介入を許さぬように、きみの神ときみ自身との対座を続けた。とことんきみは、きみの中を行く。わたしはおいてけぼりを食らう。きみがあまりにも進みすぎるからだ。

「ついてこれない?」きみが訊く。
「いや、ついていこうとする自分自身についていけないんだ」わたしが言う。
「よろしい」きみが言う、「私は私へ没頭する。きみもきみへ没頭する。私たちは、点と点だ。それぞれの内で、接点を見つければいいんだよ。きみと私に、直接の接点なんかあり得ないんだから。大衆は、かぼそい接点を強く見せようとして、その工夫に創意を費やしている。まるでそれが直接の繋がりであるかのように。
 きみと私は、そのような熱量の消費の仕方でやってこなかった。一般と称する的なものと、同化するふりさえできない。すれば絶望し、しなくても絶望する。この内的動きは、万人の持つものであるのだが、その自己の内的所作にさえ他人と同化することによって他人事だ」

「きみのことを本当に理解することができるだろうか」
「きみは私を理解することが目的ではない。きみ自身が、その目的であるべきだ」
「……」
「私は著作を続けるよ」
 彼は、三番目の部屋へ入って行った。
 今日も寒い。おまけに、風が強い。今夜も、鍋になろうだろう。