(6)大地震

 きみがヴィクトル・エレミタの筆名で刊行した「あれか、これか」には、「人生のフラグメント」と副題がついている。人生の断片。
 そのページをめくれば、
 〈 ひとり理性だけが洗礼を受けて
  情熱は異教徒なのか? 〉
 エドワード・ヤングの「夜の思い」からの引用が記されている。
 理性だけが正当なキリスト者として認可されるがごとくの現実に、きみは情熱をもって抗おうとしたのか? まだ、教会へ攻撃を加える以前の作品だから、きみはきみの来たるべき未来を予知していたのかもしれないね。自分に正直に生きる者は、自己の流れに敏感だから。

 そしてきみは、虚しい、虚無である、意味がない、とアフォリズムのように自分自身を嘆いている。ニヒリズムにすっかりやられていたね。
「死に至る病」で、執拗に「永遠に死ぬという、死んでしかも死なないという、死を死ぬという」死についての一文があるけれど、わたしはそれを見た時、あ、この人は真実を言っている、と思ったものだ。根拠はない。
 一事を見て、万事を知るタイプの人間がいる。自分の中の記憶が、自分の本質的なところに関わっている事柄で、その点と点が繋がる形で「知った」と思える心理の構造だと思う。そこには思い込みの余地も大いにあって、きみもきっと思い込みの激しい人間だったろう。

 きみは二十歳の頃、わずか二年の間に、母ときょうだい四人の死を体験した。死は、きみにどんな影響を与えたろう? おそらく、絶対的なものを知ったのではないか? 生きていることは限定された絶対だ。
 が、死ぬことは無限の絶対で… 絶望は、そのとき絶望の真っ最中である場面場面で、それが自己の本質に関わっている以上、まさに死んでも死ねない、永遠に自己であるという、死を死に続けるという、全き類似、死と絶望の暗がりに、人を落としてしまう。直感と感受の性能に富んでいたきみは、身も心も参ってしまう時間が、常人よりも多かったろうと思う。

 ところで、なぜきみはそういう人間になったのか? 幼少時、お父さんと一緒に「部屋の中の散歩」をしていたね。「海に行きたい」ときみが言えば、「じゃ、行こうか」と言って父は部屋を歩き始める。「ほら、波が寄せてきた、貝殻がこんな色をしている、お店ではこんな物を売っている…」お父さんは、豊かな表現で、さも目の前にそれがあるかのようにきみに見せた。
 そんな父のきみへの接し方も、「キルケゴールの想像力を研ぎ澄まし、その後の創作活動に貢献した」かのように識者は言っている。

 また、哲学的な話も好んでいた父は、来客が来ると、まず相手の主張を聞いた。父はたまに反論するが、それは短く、うんうん、と議論は父の防戦一方になる。ところが、相手の話を聞き終わり、最後に父が何か言う。すると立場が一変し、勝者であったはずの来客が勝者でなくなる─── そんな場面も、「幼きキルケゴールは不思議に眺めていた… それは彼の思考に云々」と、父の影響をキルケゴール研究に繋げている。

「内面では苦悶ばかりして、外面は快活に振る舞う。自分には二面性がある」ときみは言っていたが、それはきみに限った話ではないだろう。また「父から憂鬱を、母から陽気さを受け継いだ」とも言っているが、それもきっと、きみに限った話ではない。
 同様に、父から受けた影響、母から受けた影響は、誰でも持っているはずで、それは影響にすぎず、肝心なのはその影響を受けるものを持っていたきみという存在であるはずだ。

 過去も、死と同じ絶対的な時間のものであるから、それを理由にして、きみ自身の何たるかを知ろうとするのは、違うと思う。わたしの知人に、「オヤジはろくでもなかった。あんな血が自分に混じっていると思うと、やってらんねえ」という人がいたが、彼は絶対の上にさらに絶対を置くという、ツープラトン攻撃の体勢で自己をみていた。わたしは父からマイペースを、母から憂鬱の気質を受け継いでいると思っている。

 だが、それはたいした問題ではない。絶対化している過去を持ち出すのは、「自己を理解し得る範囲で理解する」、出来レースにすぎないだろう? きみが生に求めたのは、「理解し得ないものを理解できるように自己を生成する」ことだった。それに反しないよう、きみを見つめていたいよ。

「大地震」についても、きみは日記に、きみにとってそれが大事件であったのに、それについてきみは詳細を書いていない。きみの父ミカエルは、初婚の妻が亡くなる前に、家事手伝いとして来ていた女性と肉体関係を持った。父から、その告白を聞いたのが、日記に記された「大地震」だと識者から見られている。その後、その大地震のショックからきみは三年間、放蕩の生活に明け暮れたと伝記は言う。

 しかし、やはりわたしにはどうでもいい。その三年の間、まじめにグレていたきみは、レギーネと逢えたのだし、娼婦との肉欲にもまみれただろう。その、きみの実地で体験した体験の方が、想像や耳から受けたショックよりも、よほど大切なことと思う。何よりきみは、自分の身をもっての体験から、そこから受けた自己自身の内的体験から自分を、そして人間を考察し、思索を始めたのだから。

 しかし実際、きみの遺した膨大な日記には、お父さんのことが多く書かれているらしいね。そしてお母さんのことには一言も触れていないという。これも、識者によれば「異常なこと」であるらしい。きっと、きみにとってお母さんという存在は、きみの本質的な自己に関わらない、だから思索の対象にならない、ときみ自身がソクラテスの「ダイモーン」のように自己自身に命じられ、判断したからだとわたしは思う。