「自分は波乱万丈の人生だったからね」というふうに言う人を、三人知っている。その内情、内訳は、しかし言わない。
波乱万丈だった、ということが、それだけで彼らの大きな、自分を立たせる秘密基地のようである。
たぶんその仔細を語れば、たったそれだけの、言葉にしか当て嵌まらない、つまらないものに相手に聞こえてしまうだろうことが、いやなのだろうと思う。
「何だ、そんなことか」と思われるのがイヤなのだ。だいじな、だいじな「波乱万丈」なのだ。
「わしはもうすぐ死ぬんだぞ」と、小間使いで使われる老人が、場末の飲み屋で、客の残した瓶ビールの極少量を、ちまちまコップに注いで集め、飲んでいた。底に残ったビールも、集めれば結構な量になるらしい。
哀れっぽく見つめる他の若い従業員に向かって、老人は言うのだ、わしはもうすぐ死ぬんだぞ。
誰だって、死ぬのである。だが、もうこの老人には「死」しか誇れるものがないのだった。
という小説の一節は、椎名麟三によるものだ。
まったく、このように、「波乱万丈」を自己の支えにしているような人は、この老人と大差はないと思う。