自分というものをどんどん出す。そして、いろんな人と交流する── 20年前、そういうスタイルでやっていた。
それは楽しいものだった。何か記事を書くために生きていた、といって過言でない時期もあった。
実際、10人くらいの人と会って、今一緒に住んでいる人もブログで知り合ったのだ。
正直に自分のことを書いているつもりだったから、何を隠す必要もなく、「そのままで」つきあえた。
だが、次第に、こういう発信をする自分とは何かという、PV数を気にしたりこう書けばウケるかといった、外面ばかりに気を遣る自分自身が度外視できなくなった。
外は、何だか、軽いような気がした。内面に向かいたくなって、とっつきにくいような、あまり社交的(!)でないような内容のものを書き始めた。
要するに、「自分とは何か」という、わざわざ公開する必要もないような文章ばかり書くようになった。
もちろんそういう内容にはコメントもしづらく、交流がなくなっていく。淋しい気持ちにもなったが、仕方がなかった。
書きたいことを書く、ということには、変わらなかったからだ。
まわり(読んでくれる人)に振り向いてもらえるような、訴えかけるような文を書く時期は終わり、自分の内側に向かって書く、そういう時期になった。
それなら、やはり公開する必要はない。ひとりだけの日記で十分だ、とも思った。
だが、その自分には「読まれる」という意識が必要だった。客観的に自己を見る、見たいという時に、他者の目を自分に巣食わせることが必要だった。
読まれたい気持ちも確かにあった。でも、もう「外」に重きを置きたくなかった。けっこうな矛盾、葛藤があった。
今もある。読まれたい。でも、それだけじゃダメ。読まれて満足する、それだけじゃダメ。
はたして、このブログはどうなることやら。