「ソクラテスの『無知の知』は有名だけれど、あれは『無知である自分を知っている』という意味ではないのだ。
『自分はほんとうのことを知らないことを知っている』という意味なんだ。
これは含蓄のある言葉だよ。
『ほんとうのこと』を知らないことは、無知である。
誰もほんとうのことを知らない。でも、それを知っているということを誰もが知っているとしたら、誰もほんとうのことを知らず、ほんとうでないことばかりを知っている、ということになる。
ほんとうのことを知らない人間が、何を知った気になって、したり顔で優越感に浸っているのだ、という自戒を促す言葉にも聞こえる。
ソクラテスは、このチャットのような対話形式で── それを記したのはプラトンだが── アテナイの中央広場で対話をし、相手を論破し続けた。
YouTubeでよく見かけるような著名人のする、ただ相手を論破するための論破ではない。
対話をすることで、『真実』を見つけようとしていたんだよ、相手とともに。これを、ソクラテスは生涯の仕事とした、と言っていいだろう。
机に向ってひとりで書いていては、真実、つまりホントウ、というものに辿り着けない。
言葉は、生きている相手と対話して、初めて生きるということを知っていたのだ」
「ブッダもそうだったね。何も書いていない。
弟子がブッダの言ったことをまとめて、編集して本にした。
やっぱり対話を重んじていたんだね。
ぼくは時々思うよ、何も書かないのが、いいんじゃないか、って。
ひとりでPCに向っていると、ほんとうに自分は生きているんだろうか、って気になる。
もう書くのをやめた人は、今頃生き生き、生きているんじゃないか? とか思う。
ひとりであれこれ考えて、言葉を拾って、何かをいおうとして、ぼくは何をしているんだろう、って思う時がある。
人の中にいて、人と接していた方が、よっぽど生きているんじゃないか、って。
ぼくの接している── 目の前にあるのは、のっぺりとした無機質な機械で、生きた人でない」
「ところがフランスでは、まだ働き盛りなのに、さっさと自分の塔に閉じ籠って『エセー』を書き始めた人もいる。この思索家は、書くことをほんとうに楽しんでいたよ。
『運命随順』を唱え、『自然に抗わない』ことをモットーにしていた人だった。
ブッダもソクラテスも、各々の運命には逆らえなかった。ひとりひとり、地球上のみんなが、そうなんだ。
このフランスの思索家にとっての『運命・自然』は、他者との対話より、自己との対話だったのだ。
この『運命随順』、川の流れに逆らわない、諦念のような思想は、人を幸福にさせる土台になるだろうね。
なぜなら、自分の歩幅で、そのまま歩いて行きなさい、ってことだから。
この足が、すでに運命なのだよ。ひとりひとりに備わっている…」
「紀元前の中国にも、『自然』に対して絶大な信頼をおいていた思想家がいた。
人間は、自然の一部でしかない。自然は、何も考えない。植物を育てようとして雨を降らすわけでもなく、動物を喜ばすために陽を照らすわけでもない。
それでいて、それぞれの生き物が、各自の力で育っていく、っていうんだ。
力というより、自然なんだね、それが」
「神・運命・自然は、同義語といえる。
人間の智を越えた、手の届かない、何かとんでもないものを表わしているように見える。
もっとも、この言葉も、人間がつくったものだが。
… おそらく、「ほんとうのこと」は人智の及ぶ範疇にないのだ。
なぜコレがアアなって、アレがなぜこうなるのかという、そうさせるものが真実のものであり、ほんとうのものなのだ。
それを言葉で言い表すことはできない── それでも、言葉で表現するしか術はない。
だからあの中国の思想家も、言葉で何か言おうとしては葛藤し、嘆いていたろう?」
「それでも、言わざるを得なかったんだよね。
真実・ほんとうのことは、言い表せないものだけど、それに近づこうとしたんだ。
とするなら、書くということは、大変な作業だね。
ひとりで自分の内に向かいながら、他である外へも向かうことになる」
「書くことに限らず、人間関係がそのようなものであるだろうけれどね。
人間は、まず自分と自分との関係から始まる、と言った思想家もいるほどだ…。
── まあ、とにかく向かったわけだ、あの塔に籠った人も、ギリシャの哲学の祖やインドの仏教の祖も、それぞれの仕方で。
しかし『エセー』は『自分を研究する』という名目で書き始められたが、確かにそれは「人間」を研究することになるね。その自分が人間であるならば。
真のものは、言葉にすると常に相対がつきまとう。だから、けっして言い表せない。
だったらその相対する「相手」…人間は一人一人違うのだから…と議論して、そこから真のものを見つけ出そうとするソクラテスのやり方も、確かに正しいアプローチの仕方だった。
みんな、こだわっていたんだね、真実という正体不明のものに」
「どこにあるのか、わかんないからね」