〈 ほんとうの目的を持たない魂は、偽りの場所にその熱を注ごうとする 〉
僕にとってパチンコ屋は、現実から逃避するため以上のものではなかった。
同時に、しかし、いや、逃避だ、… 一歩店に入れば、そこは夢の宝島で、「ここが当たるよ」「ここが当たるよ」と、見る台見る台が僕にそう言っているように見え、僕は夢心地の気分に満ち溢れたのだから。
逃避する意識とともに起こる、「こんなことをしていてはいけない」という意識は、それを自分が裏切ることで、克己した気にもなった!
そしていつまでも逃げられやしないことも分かっていた。
だから、だからこそ、今、今、今逃げてやろう、と、ますます躍起になることができたのだ。
ところで、何かにノメリ込み易い性質、医者に行けば「依存症」と診断されるだろう僕のこの性質は、生来のものであったように思える。
たとえば性欲。小学2、3年で自慰行為を覚え、もちろん子種は出ないが、快感だけは得られていた。
そしてその行為をするにあたり、どうしたわけか、必ず罪悪感も感じていた。
僕の場合、その代償、罪の意識は、吐き気になって現われた。この苦しみは天罰だと思った。
そのたびに、神様に「もう二度としません、どうか助けて下さい」と必死に祈ったものだった。
また、幼少時、一度だけ万引きをしたことがある。お金は持っていたし、万引きをする必要などどこにもなかったのに、ウルトラマンの、20cmほどの定規を、スーパーマーケットで万引きしたのだ。
「悪いことをしている」意識、その行為の中には、甘美な、他には見いだせない、魅惑的な、強大な力があったように思う。
パチンコをするような人間は、ダメ人間だと思っていた僕が、しかし、その場所にいることで、明るい、救われた気になったのは、どうしたわけだろう?
「おまえはダメな人間だ」と誰も僕に言わなかった。どうして僕は、自分をダメな人間だと思いたがったのだろう?
比較。他者との比較。劣等感。自分は「みんな」と違う、「普通」と違うという意識は。
〈 人間は、頭の中に飛び込んで自殺する 〉──