(12)書く理由 2

 父も、カタギを絵に描いたような人で、およそギャンブラー的血筋は、家系に全く存在しない。
 しかし血筋! こんなものなど、エタ・非人の時代、もっと遡れば、ろくでもない人間、天才的な人間、もう、あらゆる血が混ざりあっているだろう。

 こんなところに、何か病んだ精神の者を、その分析のために、根拠づくろうとする「医者」及び学者を、僕は唾棄したい。

 なぜこの世に、この世界があるのかと、よく不思議に思うことがある。
 なぜあの人は自転車に乗り、なぜあの人は歩き、あの人はなぜ乳母車を引いているのか。そして、なぜ二足歩行で歩いているのか。

 どうして花が咲き、蝶がそこに戯れ、ここに雨が降り、あそこの雲が飛ばされるのか。
 僕は、人間が規定するところの人間なので、人間に興味を抱く。

 なぜ、この世に人間が、そして自分が、生きているのか、その意味を考える── いや、意味というより、何だろう、何かを。

 僕は宗教は持っていない。しかし、神のようなものは、信じたい・・
 信じたいであって、それは、信じるわけにいかないことも知っている。
 その僕の「たい」から考えると── この世に生かされている人間は、試されているのだと考える。

 いつの世も、この世が幸福に満ち、全ての人が生きていて素晴らしいと感じられる世界など、あった試しがないのだ。
 だからこの地球に生を受けた者たちは、この地球を素晴らしい世界に創造するよう、使命を負って生まれ来るのだ。

 この生のなかで、穏やかに、不平なく、静かな春の海のように生き、平和で、何としても素晴らしい世界を創造するよう、それができるか?と、神のようなものから試されているのだ──

 そうして、平和を保ったひとりひとりの魂が、この世の生をまっとうした後、いわゆる天国じみた世界へ入って行く… そんなふうに想像する。
 パチンコに心身と金銭を浪費するような僕は、おそらく死んだ後も、また「出直せ」と、神らしきものから命じられ、この世に、もしかしたら、もっとひどい世に、生を受けるだろう…