俺は料理人。
料理は、人生の縮図だよ。
歯ごたえ、味わい、広がる深さ。
また食べたいと思う、飽きの来ない味を創造し続けること。
料理を作って、文字通り食って行ける。
俺はこの仕事を天職と思う。
でも、こうなるまでには時間が掛かったよ。
色々な仕事をした。
銀行員、ハウスクリーニング、営業マン、警備員…
でも、いつも、ここじゃない、って思ってきた。
俺の居場所は、ここじゃないってね。
わからないものだね。
人生、何がどうなるか。
巡り合わせ、物の弾み、インスピレーション…
いろんな偶然、必然が重なってさ。
俺が料理の道に入ったのは、十年前の夏だった。
俺の住む町は観光地でね、浴衣を着て飲食店や雑貨屋に入ると、10%割引が効いた。
老舗の着物屋のオーナーが、この町の商業を牛耳っていたんだ。
浴衣のレンタルで、結構儲けたらしい。
あくどい商人で、国の観光庁と繋がっていた。
後に、収賄の事件で逮捕されたのは、ニュースで見たね?
何も知らない観光客は、浴衣を着て、どこか照れくさげに、でも笑って楽しそうに町を歩いていた。
俺には、この観光客達が、社会の縮図のように見えたよ。
人には、個々に生まれ持った顔、身体つきというものがあるだろう?
そのせっかくの特性、持ち味が、この浴衣に殺されているように見えたんだ。
素材の味が、粗悪な調味料で消されているようなものだ。
「出る杭は打たれる」そんな言葉が頭をよぎったよ。
みんな同じような恰好をして歩いてさ。
生きた人間までが、人工的な観光の街並みに組み込まれ、無機質な物体と化しているように見えた。
幽霊みたいだったな。
何も考えず、ただ空気に従うだけのように見えた。
すると俺に、俺という人間を作って来た過去が、煮込んだ鍋がグツグツ音を立てるように思い浮かんで来たのさ。
俺は、本当に生きて来たんだろうか。
ただ当たり障りのない、この観光客どもと同じ、薄っ平な浴衣を着て、とりすまして生きて来ただけなんじゃないか。
そんな風に思えた。
俺は、着物を脱いだ俺の生身に、何が備わっているのか考えた。
何が、俺の中身に、俺に、どんな素材があるのだろうと考えた。
まだ間に合うと思った。
俺は、自分の人生の傍観者になりたくない。
俺は考えた。この身に、何がある? 俺は考えた。
俺は、今までの俺の足跡を辿った。
履歴書に残る足跡は、見るも無残なものだった。大した学歴もない。
こんな、コロコロ職を変える人間なんて、新しく仕事を探すにしても、信用されず、採用なんかされないだろう。
悩んだよ。息苦しくなるほど悩んだ。
俺はもうだめだと思った。
だって、働かないで、どうやって生きて行くのさ?
俺の居場所はここでもない、ここでもないと、曲がりくね、ぐるぐる回った、この足跡はもう消えない。俺は絶望したよ。
でも、こんな俺でも、生きて来たんだ。
俺は、この俺を立たせ、この足の下で、俺の足を支え、俺が踏みしめて来た、俺の土台を考えた。
俺の土台、俺の生きて来た土台、これから俺が生きて行く土台を考えた。
そんな悩むばかりの毎日に、でも唯一、悩まない時間があったんだ。
メシを食う時間だった! 食いしん坊の俺は、何か食っている時、問答無用に、満たされた、幸せな気分になっていたんだ、無意識にね。
これに気づいた時、俺は思った。
こりゃいい。うまいもん作って食べれば、俺は幸せになれる。
これを仕事にしよう!
仕事、労働の土台は、自分のすることが、人の役に立つことだろう、と俺は考えて来た。
そりゃ今までして来た仕事も、役に立っていただろうと思う。
でも料理は、この俺の腕、この俺の腕一本で、直接人を満足させることができる。
そんな手ごたえを感じたんだ。
俺は、いい仕事がしたいと思った。俺は一念発起した。
貯めた金をはたいて、一流シェフが卒業した専門学校に通い、毎日毎日、うまい味を出す研究をした。
全国から、ご当地の食材を取り寄せた。
近くの農地の一角を借りて、自分で有機野菜も作った。
うまいもんを作りたい。この一心だった。
近所の人たちを招待して、無料で提供したのが始まりだった。
今、俺はミシュランで二つ星の割烹料理屋のシェフになった。
でも、こんなの足跡の一つにすぎない。
俺が料理人になったのは、俺の生きる場所、俺の居場所が欲しかっただけなんだ。
俺の人生を、おいしく料理したかっただけなんだ。
そのために、日々、今も追求しているよ。
これで完璧、なんて味はない。
人間と同じように、食材にも、生まれ持った味があるんだ。
その素材を生かして、おいしい料理を、俺は創作し、出し続けてやるんだ。
あの商人の悪徳へ、反抗したい気持ちもある。
まだ、あの傘下にあるからね。
でも、要するに好きだったんだな。
俺は食べることが。
この「好き」が、何より強固な、俺の土台だったんだ。
そう気づくまでに、どえらい時間が掛かっちゃったよ。