高野悦子の「二十歳の原点」、高史明の「生きることの意味」、椎名麟三の「生きる意味」… 太宰、小林美代子、原口統三。
高野悦子は20歳で自殺してしまった。小林美代子は56歳位、原口統三は20歳前。
椎名麟三はよく生きた(ほんとうに嬉しい)、高史明さんはよく分からない。ただ、12歳で自殺してしまった息子さんの手記は読んだ、だがぼくの記憶に内容はよく残っていない。
ただ、ヒトは、生きて、死ぬ。これだけが、ぼくに、確実に「分かっている」ようなものである。
そもそも、そこに、意味なんて無いのだろう。
たとえば言葉がある、だが「何時何分に、じゃあここで会いましょう」と約束したとして、そこにしか、言葉の「意味」というのは、ない。
思想的なもの、無形の考察といったものが言葉に表れたとして、でもそこには、意味というものは、ない。
意味というのは、自分だけではつくりえないもの、ひとりきりではつくりえないもの。
でもね。
実に胡散臭い「哲学」とか思想、考え方を知ることは好き。
な~んの役にも現実、目に見えなくて立たないものでも、それはかけがえのないもののように感じるから。
何のために生きるかなんて、極論すれば、どうでもいい。
ただ、そのどうでもいいようなことに、ぼくはだいじなものを見い出すだけ。